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連載企画

北の縄文、海と火山と草木と人と

第10回 環境変動と北の縄文 2019年3月29日

「海と火山と草木と人と」という表題にしたのは、北東北から北海道の“北の縄文”が、この地域に特異に起こった環境変動と深くかかわっていたことを話したかったからである。海は海面変動、火山は火山噴火という地殻変動、草木は植生変動、人は人文社会変動を意味している。これらが相互に深く関係している地域が北東北から北海道というわけだ。植生変動には人が植生を作り変えることも含まれる。つまり、人の活動が環境変動を引き起こすこともあるのである。しばしば気候変動だけが環境変動と捉えられがちであるが、北の縄文についていえば、この地域に特徴的に起こった環境変動があり、一筋縄ではいかないのが環境問題なのである。今回が最後なので、9回にわたって話してきたことを補足しながら私なりに復習しておきたい。

北の縄文の幕開けは、これまで当たり前のように語られてきた地球環境の急激な温暖化だけではなく、北東北の十和田火山と北海道渡島半島の濁川(にごりがわ)火山という二つのカルデラ型火山の巨大噴火と時期がおおむね一致する。約15,000年前、十和田火山の巨大噴火は「八戸テフラ」という大量の軽石と火砕流を噴出し、濁川火山も同時期に「濁川テフラ」という大量の軽石と火砕流を噴出した。このような巨大噴火は破局噴火とも呼ばれ、巨大災害をもたらすと考えられている。事実、北東北では寒温帯針葉樹林から過酷な環境に耐えうるカバノキ科植物群からなる植生へと急変し、生態系の激変を引き起こしたことは明らかだ。大平山元Ⅰ遺跡は巨大噴火の直前の集落であり、いかなる環境変動が人文社会変動にかかわったかを解明するうえで重要な鍵を握っているといえる。北東北から北海道にかけて、同時期の遺跡がさらに発見されるとともに、巨大噴火という環境変動との関係性が明らかにされることを願う。

1 十和田火山から噴出した火山灰の堆積の様子十和田火山東方の二の倉ダムにて。最下部の厚い白色の火山灰が約15,000年前に噴出した八戸テフラの火砕流。この一帯では厚さ30メートルに達し、巨大噴火の凄まじさを物語る。最上部の白色の火山灰が約5,900年前に噴出した中掫テフラ。北東北一円に降下し、上空に噴出した細粒の火山灰は中部地方にまで達しており、爆発音は日本全域におよんだと推察される。
これら十和田火山の巨大噴火は突然に起こった環境変動と捉えることができる。

約11,000年前に一気に進行し、約8,000年前には最奥に達したと見られる縄文海進は、少なくとも日本においては縄文時代の最大の環境変動であった。東京湾という広大な内湾はこれによって形成された。北東北の陸奥湾、北海道の内浦湾(噴火湾)、規模は小さいが八戸地域の古八戸湾や古奥入瀬湾など、縄文海進は海洋資源量が格段に多い内湾を形成した。当然のこととして縄文人の漁労を誘導しただろう。一方、沿岸・内湾域には旧石器時代はもとより縄文時代前期までの多くの遺跡が埋没しているか、海岸浸食によって失われたであろう。旧石器時代から縄文時代の人文社会変動を考えるとき、このような環境変動にも留意しなければならない。

約5,900年前の十和田火山の巨大噴火は、北東北から北海道にかけて一気に広まった円筒土器文化の誕生に深くかかわったと見られる。縄文時代前期の中ごろに突然出現した円筒土器文化が巨大噴火直前のどのような文化とかかわりをもつのか、また、どのような縄文人が円筒土器文化を生んだのかはいまだ謎である。円筒土器文化の集落は、里地・里山・里川・里海が連続一体となった集落生態系を形成していたことが図像として描き出された。三内丸山遺跡や八戸市の是川遺跡において生活資源が枯渇しない持続可能な集落生態系が復原されたのである。居住域である里地にはクリ林が作られ、周囲にはクリやナラ類など落葉広葉樹からなる里山が形成されていたと考えられるが、その範囲は史跡指定域の外側に及んでいるため、どこまで広がっていたのかは分かっていない。今後の検証を待たなければならないが、わくわくする検討課題である。円筒土器文化で明瞭となった集落生態系は、縄文時代中期から後期へ、そして晩期へと継承されていったことが是川遺跡の調査から分かってきた。

2 十和田火山の活動史工藤 崇(2008)によって編集されたものを改訂(是川縄文館平成26年度秋季企画展「海と火山と縄文人」展示図録から引用)。噴火エピソードLが十和田カルデラの形成を引き起こした巨大噴火で、八戸テフラを噴出した。噴火エピソードCが円筒土器文化を生み出す契機となった巨大噴火で、中掫テフラを噴出した。

 

3 円筒土器文化成立期の遺跡分布是川縄文館平成29年度秋季企画展「是川縄文ムラを観る・描く」展示図録から引用。左の図が成立前の遺跡分布、右の図が成立後の遺跡分布。成立後、すなわち十和田火山の巨大噴火後では、三内丸山遺跡のような拠点集落と呼ばれる大規模な集落をはじめとして、集落の数が圧倒的に増加していることがわかる。

北の縄文がもっている文化の特性は、海と火山と草木といった環境および環境変動との関係性に埋め込まれているようだ。北の縄文と環境とのかかわりについて、考古学とは少しばかり違った視点から話をさせていただいたことに感謝したい。

4 縄文後期の風張遺跡の調査にもとづいて復原した集落生態系の鳥瞰図
是川縄文館平成29年度秋季企画展「是川縄文ムラを観る・描く」展示図録から引用。
集落の分布と地形・地質、植物遺体分析にもとづいて描かれている。
集落生態系の構造は三内丸山遺跡や是川遺跡と相似的であり、円筒土器文化から継承されていることがわかる。

プロフィール

北の縄文、海と火山と草木と人と

1952年滋賀県生まれ。国立歴史民俗博物館教授、東京大学大学院教授を歴任。東京大学名誉教授。
理学博士(大阪市立大学)。専門は地質学、植物学、生態学だったが、いまは無く、あえていえば歴史景観生態学を創出しつつある。

世界ではさまざまな巨大災害が起こっている。巨大噴火、巨大地震、これらは私にとっては環境変動の一つ。巨大なものばかりが注目されるが、ささやかなこともたくさん起こっている。およそ3万年前から現在までの、大小さまざまな環境変動が人社会や生態系にどのように働きかけ、どのような応答があったのか。そんなことを研究している。最近では、独自の技法を開発しながら、その様子をイラストや絵にしている。一方では、縄文時代の集落生態系の復原に取り組み、色鉛筆画にしつつある。

著書は中途半端なものばかりで薦められないが、まじめなものに編著『考古学と植物学』(同成社2000)がある。最近、『隙間を生きる 植生史から生態系史へ』(ぷねうま舎、非買本)を発行。可能な範囲で差し上げる。

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