『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』(2018方丈社)は大変おもしろかった。著者の内田洋子さんはベニスに住んでいる時、裏通りにある古本屋の馴染み客になった。話しているうち彼らの先代や仲間が北イタリアのトスカーナ地方の小さな町、モンテレッジォ村の出であり、その親類縁者が世界中に展開していることがわかった。村を訪ねたいと思ったが、公共交通機関もなく受け入れてくれる人もない。個人が立ち上げたホームページと電話でようやくツテを見つけると、逆に大変熱心に、自家用車で村を案内してくれることになった。過疎化が進んで限界集落に近くなり普段は人がいないのだそうだ。しかし、夏のシーズンには300人を超える人がやってきて住み、数々のイベントが行われ大いに賑うという。村の歴史について聞き込みを始めると、ローマ時代には既に存在し、主な産業は行商、とくに近代は古本の販売に特化していったという。「旅は情報を運ぶ」という現代の先端を早くから歩んできたわけだ。
私が興味を惹かれたのは村の景観であった。本の写真を見ると、濃い緑の落葉樹の海にぽっかり浮かんだような村の風景は、小麦畑や牧場に囲まれたヨーロッパ的な風景とはずいぶん違う。私には日本の村のようになつかしく見えた。
本書の中で生活の記述は少ないが、人々が思い出話をするとは決まって昔の生活が顔を出す。「子どものころよく祖父とクリ拾いにいった。いっぱい落ちている中から痛んでいないものを選ぶ。夕方になると、方々の家から焼き栗の匂いがしたものだ」と。
食堂では昼食にクリのニョッキ(ダンゴ汁のようなもの)やクリ粉のパンが出た。肉類はハム、そういえば私も若い頃、イタリアにはブタにドングリを食わせているところがあると聞いて出かけていったことがあるが、準備不足でむなしく帰ってきた覚えがある。ほかに、ハチミツ、キノコ、ベリー類など野生食が実に多い。食堂に薪を運んできた男たちは「薪材は全部クリ」と言って、両手を広げてその場でくるりと1回転してみせた。山に入って古い枝を払い、枯れ枝を伐採してきたのだという。すべてクリというのは大げさにしても、過去には栽培に近いクリ林が十分に手入れされていたこと、クリを主体にやれるほどのシステムがあったことをうかがわせるのである。
クリを主体とした生活と言えば縄文時代のムラのことをおもいだす。三内丸山遺跡はクリとともに成長したことが花粉分析の結果わかっている。また、最近ダム建設に伴う調査が終わった青森県西目屋村からはたくさんの遺跡が見つかっているが、(民俗誌も入れた)そのあり方はサンモリッツ(スイス)の村を彷彿とさせる。内陸の豊かな平野部に対し、村は海へとつながる地に位置し、「労働力と交易」によって旅して生き続けたことである。
日本とイタリアを直接比較するには無理があるように見えるが、ヒトの生活そのものの基本は変わらないだろう。それを人類史という大きな見方と考古学や地方史として捉える差だと考えてみればどうだろう。

本のカバー写真に浮かぶモンテレッジォ村