考古学とノーベル賞は関係ない、あれは理系のもの(最近では平和賞や文学賞など範囲はひろがっているが)、考古学は文系そのものだからダメだとずっと思っていた。ところが今回ノーベル化学賞に選ばれた吉野彰さんは学生時代に考古学に相当深入りしていたというコメントを聞いて驚いた。もちろん理系の人だから「本気で」目指したのではなく、アルバイト的にやっていたのだろうと思う。考古学は1960年代からC14(放射性炭素年代測定)という絶対年代を使うようになって、特に環境に関わる分野―地質、気候変化、花粉分析、DNAなど―で、急速に守備範囲を広げていった。制度的にも旧来は大学の研究室を中心とした無償の奉仕的なものだったのに、発掘に関わることが金銭的に保障されるようになったという時代的な変わり目にあった。
吉野さんの考古学に対する説明は明確で、事実を集め、並べてみる、間違いや不確実なものは切り捨てて論を組み立てていく。確かにそうだが、それは理系の思考であって、考古学の方は曖昧な記録や情報が多く、それができなくて困るのである。何しろ、何千、何万年も前のものが、一度は捨てられ、忘れられたものが瓦礫と化して積みかさなったもの(撹乱を受けているものもあり)を掘り出して並べる、歴史を復元しようとすることは、常に情報の不備や技術的限界があって、古いものほど間違いが起きやすいのである。
近代考古学の祖であるとされるシュリーマン(ドイツの考古学者)のトロイの発掘をあげてみよう。少年時代からギリシャ神話に魅せられたシュリーマンは自力で金を作り、文献や発掘品を集め、ついにトロイを発掘して、その存在を確かめたとして世界を驚かせたのである。ところが場所は正しかったが層位が実際より何千年も古いギリシャ以前のクレタ文明のものだったことがわかった。それが判明したのは大英博物館のエヴァンズ(考古学者)を中心とするイギリス人の手堅い努力の結果だった。シュリーマンは層位を誤り、正しい層を掘り飛ばしてしまったのである。
そして、話はこれでは終わらない。かつては、正しい発掘とは、発掘者が完全に整理がおわってから発表するものという学会の掟があった。(三内丸山遺跡でも、初めは研究もしないで発表が早すぎるという批判のあったことを思い出す。)トロイの遺物の中に「線文字B」と呼ばれる字で書いた文書がある。しかし、エヴァンズが未解決だとして資料を公開しなかったために解読が数十年遅れたのである。解読者は門外漢のイギリスの情報将校だったベントリスで、日本の音読みと訓読みがまざった読み方が大きなヒントになったと言われている。
このように考古学はある意味では大回りを繰り返しながら成長してきたことがわかる。大切なのは、既に確立した説でもないし、アカデミーと呼ばれる権威でもない。正しい事実を見つけ、そこから新しい仮説を立てていくことが必要だと思うのである。機会があれば吉野さんにそんな話を聞いてみたいと思う。

クノッソス宮殿(ギリシャ クレタ島)
遠藤 昂志 [CC BY-SA 4.0], ウィキメディア・コモンズ経由で