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連載企画

小山センセイの縄文徒然草 小山修三

第96回 博物館のあたらしいかたち 2020年1月20日

いま、博物館のあり方は大きな曲がり角に来ていると思う。現代の世界の博物館の原型は19世紀に欧米ではじまった万国博覧会である。万博とは、他の国に呼びかけ、それぞれの国の威信をかけて公衆の教育を主な目的とする催しで、文明の粋を集めた大がかりな装置を設けて珍しい財宝や特産品をかざったエンターテインメントの場として大勢の人を集めるものであった。パリのエッフェル塔(1889)や大阪の太陽の塔(1970)などに代表される大モニュメントがそのシンボル的存在となり、広大な跡地には博物館がつくられるようになった。日本の近代化をめざす明治新政府はその思想や装置を国策として取り入れた。

庶民が手っ取り早く新しい文明を知るための絶好の装置と考えたからだろう。この策は成功して、結果的に国立をはじめ県、町、村にいたるまで博物館がつくられることになった。しかし、国の後押しを受けた「教育」が優先された結果、どの博物館も同じ顔を持つようになってしまった。特に、楽しさというエンターテインメント部分を落としてしまい、宝物の倉庫と化したのである。

第二次世界大戦後の経済成長によって多様化してきた日本社会では、法律に守られて硬直化した博物館はその目的を果たさなくなってきた。政府はこの状況を打開するために、国立博物館を独立法人化した。この「国のためから市民のため」という方針転換は、それまで行われたオヤカタヒノマル的制度に安住していた博物館員の意識に影響を与え、現状に混乱を生じさせていると言えるだろう。

新しい発想が求められている博物館員の一人として、わたしは「触る」というこれまで切り捨ててきた分野に挑んでみたいと考えるようになった。「触ってはいけない」と展示物をガラス戸や囲いに閉じ込めるのが博物館の普通の形だったが、それでは「見えない」人はどうなるのかといつも考えていたからである。わたしは当時、吹田市立博物館にいたが、みんぱく(国立民族学博物館)の後輩である盲目の人類学者広瀬浩二郎さんを中心に「触る」をキーワードとして科研(文科省・日本学術振興会の研究助成)を受けた研究会を立ち上げた。最初のシンポジウムで博物館の展示物に触るなんて許せないと怒って席を立った人がいたのを思い出すが、それでも熱心な人が集まってもう10年も継続されている。研究仲間は視覚障害者、博物館、美術館、大学、考古学、アーティストなど多様で、毎年、熱心な討論と実験を行ってきた。シンポジウムを開くたびに参加者の数は増え続け、希望者を断らなければならないほどである。今年は一応のまとめとして、9月から12月にかけてみんぱくで特別展を予定しているが、まだやらなければならない課題は多い。

この研究会の最初のワークショップは三内丸山遺跡だったことを思い出すが、考古学にとって「触る」ことが大きな意味を持っていることを考えるとその可能性をさらに追及する必要性を感じている。

【参考文献】
広瀬浩二郎(編著) 2016『ひとが優しい博物館: ユニバーサル・ミュージアムの新展開』青弓社
広瀬浩二郎(編著) 2012『さわって楽しむ博物館―ユニバーサル・ミュージアムの可能性』青弓社

三内丸山遺跡でのワークショップ (2010)

 

収蔵庫の土器を一つ一つ触って確かめる

プロフィール

小山センセイの縄文徒然草

1939年香川県生まれ。元吹田市立博物館館長、国立民族学博物館名誉教授。
Ph.D(カリフォルニア大学)。専攻は、考古学、文化人類学。

狩猟採集社会における人口動態と自然環境への適応のかたちに興味を持ち、これまでに縄文時代の人口シミュレーションやオーストラリア・アボリジニ社会の研
究に従事。この民族学研究の成果をつかい、縄文時代の社会を構築する試みをおこなっている。

主な著書に、『狩人の大地-オーストラリア・アボリジニの世界-』(雄山閣出版)、『縄文学への道』(NHKブックス)、『縄文探検』(中公 文庫)、『森と生きる-対立と共存のかたち』(山川出版社)、『世界の食文化7 オーストラリア・ニュージーランド』(編著・農文協)などがある。

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