焼失した面積18.6万km2、死者84人、家屋5900、野生動物12億匹、炭酸ガスの排出3.5億トン、これは1月末に報じられたオーストラリア東南部(シドニー、メルボルン、アデレードを含む人口集中地周辺)における最近の山火事被害のこれまでの推定値である。その面積は日本の半分にちかく、その規模の大きさにはおどろくばかりだ。また、アデレード市の対岸の島、カンガルー島では2.5万頭のコアラが焼け死んだとされ、その無残な報道写真は多くの人々にショックをあたえている。
大火の記録はオーストラリアの植民が成功し、都市が形成されるようになった20世紀になってから、1926年(ビクトリア州、死者60)をはじめとして、1939年(ビクトリア州、死者71)、1967年(タスマニア、死者62)、1985年(南オーストラリア州、ビクトリア州)、2009年(ビクトリア州、死者179)などがあり、それぞれ「黒い金曜日」とか「灰色の土曜日」などと呼ばれている。しかし、これらは人的被害の大きかった都市部に限られており、そうでない山火事はほぼ毎年のようにどこかで起こっていたと思える。そういう意味では山火事は乾燥した気候、平地がひろがり、燃えやすい草地やユーカリ林中心の植生をもつオーストラリア大陸の特徴=宿命みたいなものといえるだろう。
オーストラリアの消防組織は、機材だけでなく、自警団や子供教育まで含めて組織的には充実している。しかし、火事を防ごうとする湿潤な北半球的な発想が基本にある。そのため、乾燥が進むと警報を出し警戒に当たるのだが、林床には燃えやすい草や油性のユーカリの葉がたまり(人々はこれを爆弾とよんでいる)、タバコや焚火の不始末や放火だけでなく、雷や木の摩擦などによって簡単に大火事が起こる。その対応策としてR.ジョーンズ氏は、アボリジニが何万年にもわたって学んできた知恵と技術を採用すべきだと主張した。彼らがアーネムランドで雨季の終わり頃から少しずつ積極的に森を焼いて大火を防ぐシステムを、考古学的、人類学的に実証して見せたのである。しかし、北半球の森林地帯での山火事というものの固定観念に加え、「未開人のやることなんて」という考えのためにすぐには受け入れられなかった。しかし、最近ようやくその論理性がみとめられて、部分的だが採用する動きが出ている。
それにしても、今やカリフォルニアやアマゾンなど大規模な山火事が世界中で頻発していることも事実で、私たちはその理由や対策を考える必要があるだろう。もっとも、わかりやすいのは地球気候の温暖化が主な原因であること、それは多くの統計値がそれを示している。そこで思い浮かぶのは、スウェーデンの少女グレタ・トゥンベリさん(環境活動家)の化石燃料の使い過ぎに対する抗議である。
たしかに山火事には多くの要因があり、それが複雑にからみあっていることは事実である。オーストラリアの例を見ていると、わたしは人間対自然(動植物)の対立が基本にあると思う。人類はその生存と拡散をかけて近代化を進めてきた。そういう意味ではこれまでのこと、さらにはこれから起こるだろうことは簡単に想像できる。だからコアラの絶滅は仕方のないことかもしれない。しかしそれだけでいいのだろうかという不安も抑えきれないのは事実である。自然(生態系)はそう簡単には滅びないことを信じたいと思う。

コアラ(1995年3月 オーストラリア)
(作者:Arnaud Gaillard [CC BY-SA] 出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons
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