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連載企画

だびょん縄文

第20回 三内丸山ムラが一番おおきかったころ 2020年3月4日

時々雪が舞い散るが、日差しは少しずつ春の気配に。縄文人もこんな季節を迎えると、ノウサギも食べ飽きて早く新鮮な木の芽や野草を食べたいと、うずうずしていたかもしれない。

先日、三内丸山遺跡にお二人で来た方をご案内した。一人は初めてで、もう一人は2年前のリピーター。友人に「三内丸山遺跡に行くなら、雪景色だろう」と言われ、別の友人には「緑の美しい季節だろう」と言われ、どっちにすれば良いのか迷った結果、間をとって今、来ましたと。リピーターの方は雪がのそのそ降りしきる遺跡を廻った2年前の感想を話してくれた。「私は今どこにいるのだろうか。ここは日本なのだろうか」と異世界に迷い込んだような気持ちになったと。雪さん、三内丸山の魅力づくり貢献にありがとう。

2月中旬、三内丸山縄文冬まつりが開催された。
いつもならたくさんの雪が積もっているが、今年は雪がない。それでもたくさんの子どもたちが遊びに来てくれた。遺跡のピクニック広場では、家族で雪だるまをつくったり、雪を土に見立て埋められた複製の土器や土偶を発掘したりと、大人も子どもも必死にショベルを動かしている様子はまさに縄文家族だ。
今回の企画展イベント「サンドアートで盛土づくり」を体験した。ガラス瓶の中に7種類の色の砂で盛土の地層を、ところどころに石や土器片を置き、そしてまた砂を敷き詰めていく。まさしく盛土だ。小さなガラス瓶なので均一に敷き詰めていくのが難しい。出来上がりは…縄文人に「まだまだ1000年早い」と言われそう。

かわいい雪だるま

 

「#三内丸山遺跡キャンペーン」参加の姉妹

 

現在開催中の冬季企画展「三内丸山ムラが一番大きかったころ」新しいウィンドウが開きますは、行くたびに新しい謎に出会う。入口には俯瞰した遺跡のジオラマ写真を展示してある。盛土はあちこちのムラで作られたものではないというが、三内丸山にはそんな盛土が3つもある。盛土の形が勾玉のように見え、頭の部分が向い合っている。盛土を作るのにグランドデザインがあったのかしら。両盛土の真ん中に道を作り、その道に沿って高床の建物が整然と並んでいる。ギャラリートークでの「もしかしたら、道を挟んで南盛土地区と北盛土地区に分かれていたかもしれません。」との話に納得してしまう。

三内丸山遺跡のジオラマ写真 (中央の道路を挟み、右側が南盛土、左側が北盛土)

 

南盛土地区は公共の施設がなく、竪穴建物がたくさん作られている。北盛土地区は大型建物、大型掘立柱建物、子どものお墓はあるが竪穴建物は多くはない。北地区は官庁街?広場のような空間もある。1700年間施設が同じ場所につくられていることは、これもれっきとしたグランドデザインだ。今まであの高い6本柱だけに目がいっていたが、盛土も重要で大切な場所だったのではないかと思えてきた。お客様が盛土を見て、「ここは大切にしていたモノのお墓なんでしょうね」と話された。モノのお墓、すべてに命があり、それを大切に思う気持ちが盛土を作らせたのだろうか。それにしても半端ない大きさだ。1000年の長きにわたり大変な労力をかけ、膨大な遺物が積み重ねられたと考えると、今更ながら心が震えてくる。ここを発掘された方の感想を聞いてみたい。
入口の写真だけで考えさせられてしまいなかなか進まない。
この企画展に通い続け、三内丸山のすごさを探してみたいと思う。

プロフィール

だびょん縄文

主婦 三内丸山応援隊ボランティアガイド歴23年
青森県立郷土館協議会委員 じょうもん検定上級合格者

三内丸山遺跡でガイドをして縄文遺跡に魅せられ、
全国各地の遺跡を訪れ、ますます魅せられ、
正真正銘の縄文ファンとなる。

「青森県民は三内丸山遺跡で元気をもらい、今ももらい続けています。
だから100年200年後の人たちに世界遺産という大きいリボンをつけて贈ることが今の私たちの任務だと思い、日々活動しています。」

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