10年ほど前から雪解けとともに眼がかゆくなる、鼻水が止まらない、という症状に見舞われていました。年々ひどくなり、ついに我慢できなくなったため、先月病院で検査を受けました。その結果、スギとヨモギについて著しくアレルギー反応があり、立派な花粉症であることが確定しました。
そう言えば、この時期三内丸山遺跡に行くとくしゃみが止まらなくなることが何度もありました。遺跡にはスギがたくさんあり、今頃だと葉が赤くなり、まさに空気中に花粉を大量に放出していたわけです。
さて、現代の私達よりも豊かな自然の中で暮らし、森が身近にあった三内丸山の縄文人は花粉症に悩まされることはなかったのでしょうか。おそらくなかったのではないかと思います。その理由は、花粉症の主な原因となるスギがこの時代にはほとんどなかったからです。三内丸山ムラの周辺はおそらく皆無であったと考えられています。
当時の自然環境、特に植生(物)に関する情報は、遺跡の中にいろいろと残されています。木材や種子など比較的大きなものもありますが、中でもミクロの情報は重要です。植物は子孫を残すために花粉を放出しますが、それらは数千年経過した現在でも花粉化石として残っている場合があります。特に谷や低地など水分の多く、空気と触れる機会が少ない天然の冷蔵庫といって良いようなところは情報の宝庫となっています。もちろん、ミクロン単位の話ですから肉眼では花粉化石そのものを見ることはできません。例えば、スギ花粉は3/100mm位といわれています。花粉化石が含まれている土壌を採取した後、さまざまな処理工程を経て、最終的には顕微鏡でプレパラートをのぞき、種類の同定を行います。花粉化石そのものの年代は特定できませんので、あくまでもその花粉化石が含まれる土壌が間違いなく縄文時代のものであることが前提となります。
三内丸山遺跡では当時の自然や生活環境を解明するために、辻誠一郎東京大学大学院教授により、この花粉分析が意欲的に行われました。その結果、驚くべきことがわかりました。出土した花粉化石の8割がクリであったことでした。このことはムラの近くに相当量のクリがあったことを示しています。このような状況は通常の自然環境では考えにくく、縄文人が意図的にクリ林を造った可能性も考えられました。さらに、このクリの花粉は縄文人がこの地に居住してから急激に増加していることもわかり、人間とクリの密接な関わりが見えてきました。このことをきっかけに、その後クリの実の遺伝子分析が行われ、クリの栽培や管理が裏付けられることになりました。
それにしても、現代のように大量のスギ花粉を浴びたとき、縄文人が花粉症になるのかどうかについては非常に興味深いものがあります。寄生虫を持っていた場合、花粉症にはなりにくいとの説があります。実際に遺跡では大量の寄生虫卵が見つかっていることから、多くの縄文人は寄生虫を持っていたと思われます。ですので、あるいは意外と平気なのかもしれませんね。