数十年ぶりにパリに観光旅行に行ったという四国の友人が、この旅でなにより嬉しかったのは、ルーブル美術館のモナリザの写真がとれたことだとメールしてきた。あれはたしか10年くらい前に行ったとき、たくさんの人が絵の前に群がってケータイをかざしているのを見て驚いた覚えがある。「写真、いいんですか」と係員に聞いたら、写真機を首からぶら下げた私をジロリとみながら「禁止すると東洋人の客が来なくなりますからね」と言った。モナリザはこれまで何度も災難にあっているが、今はガラスケースに悠然と収まっている。フラッシュなしでもいい写真が撮れるようになったからだそうだ。こうして無数のモナリザ像が世の中にあふれだしているのだが、それは何処でどのように利用されているのだろう。
ナポレオンのエジプト遠征の例を倣ったのだろうか、1871~73年にかけて欧米諸国を訪れた岩倉使節団は、当時のアメリカとヨーロッパ諸国の都市や施設を銅版画で詳細に記録した。見たことのないものをイメージし、再現するためには画像は言葉と比べるとはるかに勝る。人類学の世界もそれは同様であった。みんぱく(国立民族学博物館)ができた頃は写真の全盛期だったと言っていいだろう。私たちは写真機をぶら下げ、一人でフィールドに飛び出していった。未知の世界に行って、できるだけたくさんの映像を撮ってくるのが私たちの任務であり存在価値だと信じていた。梅棹忠夫さん(人類学者)や中尾佐助さん(植物学者)をはじめとする、膨大な写真コレクションを作った人たちの伝統を引いていたこともある。それでも、今考えると準備が大変だった。フィルムの準備、保管と輸送、送り返した後の現像、焼き付け、整理。頭が痛くなる。しかし、スマホに代表される現代の技術進歩はそんな手間を解消していった。それだけではなく、色を付けたり、顔や背景を変えるなどの捏造もできるので悪用されるおそれも多いのである。何のことはない集合写真でさえも顔をぼやかしたり消したりする必要があるのはおそろしいことだ。
フィールドワーカーとして写真を撮りまくったことは、基本的には彼らのプライバシーを侵害していたことに気づく。周りにカメラを持った他人がいつもうろついているのはうっとうしいことだし、こちらは晴れの姿だけでなく、ふつうの姿も撮りたいと思って、つい珍しい場面に出会うとシャッターを切ってしまう。なかには、ヒトだけではなく、神聖な場所さえあるのだ。そういう意味で現在、肖像権が問題になっているのは当然だと思う。それに加えて撮影権のこともあり、問題は複雑になる一方だ。アボリジニ社会に長くなじんでいるうちに、私はほとんど写真を撮らなくなっていた。それはすべての場面が珍奇なことだけではなくあたりまえのものであることだと受け取ることになったからだと思う。しかし、それでは「著述業」としてはあがったりになって困っている。では写真に代わる手段に何があるかはよくわからないのだが・・・。

モナリザにカメラを向ける人々。
ルーブル美術館では美術品を鑑賞しスケッチする子どもたちの姿も多く見られる。