肌寒い日が続いていますが、ゴールデンウィークが目前に迫ってきました。きっと連休中の三内丸山遺跡は大勢の見学者が訪れることと思います。
さて、遺跡には小学校をはじめ様々な団体が訪れます。その中で老若男女を問わず多い質問があります。食に関すること、ファッションに関すること、言葉に関すること、そして「トイレやお風呂はどうしたんですか?」という質問です。普段の生活に関係したことについて興味関心が高いことが伺えます。
縄文時代のトイレを探すことは簡単ではありません。例えば柱がある建物のような構造であるとか、穴があれば見つけることはできますが、そうでないとトイレの痕跡を見つけることは困難です。明確な証拠が残っていないとわからないわけです。排泄物もやがては分解され、トイレの証拠はなくなってしまいます。
私も発掘調査をしているときは、多くの子供たちの質問に何とか答えようと思い、いろいろと考えましたが、いい方法が見つからず、なかばトイレの発見はあきらめかけていました。かつて他の遺跡では排泄物が化石化した「糞石(ふんせき)」が見つかり話題となりましたが、その後、それらの落とし主はイヌとの見方が強まっていました。
しかし、そこへ朗報が届きました。寄生虫卵は大変丈夫で、長い時間土に埋まっていても分解しないで残っている場合があることがわかったのです。ということは遺跡から土を採取し、その中から寄生虫卵が大量に発見されれば、その場所がトイレもしくは最終的に排泄物を棄てた場所である可能性が高いと考えることができるわけです。寄生虫卵はもちろん肉眼では識別できませんので、顕微鏡下での作業となります。
そこで、この分野の第一人者である金原正明さん(現 奈良教育大学教授)に三内丸山遺跡の分析をお願いしました。金原さんは、沖館川に面した第6鉄塔地区や北の谷から採取した土の分析を行いました。その結果、第6鉄塔地区では1㎤あたり1,000~10,000個、北の谷からもほぼ同じくらい高い密度の寄生虫卵が見つかりました。奈良時代のトイレ跡から見つかる寄生虫卵と同じくらいの高密度であることから、三内丸山遺跡でも第6鉄塔地区や北の谷はトイレもしくは排泄物を棄てた場所であることがほぼ明らかとなりました。
また、寄生虫卵も鞭虫(べんちゅう)がほとんどで、淡水魚や大型草食獣、サケ・マスに寄生する寄生虫卵が見つからなかったことから、当時の人々は植物性食料を多く摂り、それ以外はあまり食べていなかったことが考えられます。高密度の寄生虫卵が見つかったことで当時の人々は腹痛などの鞭虫症に悩まされていたことが想像されます。人間と寄生虫の付き合いもとても長くなっているわけです。実に土の中には多くの情報が含まれていることが改めてわかります。