ホーム > 連載企画 > 第31回 キラリ!黒曜石の話

このページの本文

連載企画

縄文遊々学-岡田 康博-

第31回 キラリ!黒曜石の話 2010年6月4日

小学生の頃、遺跡で拾った黒曜石は宝物でした。どこでも拾えるものではなく、何度も何度も遺跡を歩き、たまに出会うことのできる貴重品でもありました。ちなみに遺跡で土器や石器などを見つけやすいのは雨の日の翌日です。普通は土が着いているため、周りの土と見分けがつきにくいのですが、雨が土をきれいに洗い流すと発見はそんなにも難しいことではありません。そう、ちょうど春先に畑を作り始めるときが最大のチャンスでしたので、自転車にまたがり郊外の畑めぐりをしたものです。

北海道産の黒曜石


 

宝物の黒曜石はきらきらと光沢があり、割れ口はガラスのように鋭く、何でも切れそうでした。太陽にかざすと薄い部分は光が透けて見え、他の石器にはない不思議な魅力がありました。当時は、日本では黒曜石は北海道や長野県で採れるとされていましたので、手の中にある黒曜石は遠く離れたところから持ち込まれたものだと漠然と思っていました。

黒曜石は火山岩の一種で、字のごとく黒色をしていますが、中には茶色や縞模様のものもあり、北海道では十勝石と呼ばれたりしています。ガラスとよく似た性質ですので、鋭く割れ、縄文時代以前からも石器の材料として利用されてきました。アステカ文明では外科の手術用メスとして使われることもあったそうです。とにかく切れ味は抜群です。現在日本では70ヶ所を越える黒曜石原産地が確認されています。本県でもつがる市出来島海岸や深浦町、青森市戸門などで黒曜石を採取することができます。出来島海岸ではピンポン球大の黒曜石が点々と落ちていますが、表面が白く風化しているため、慣れないと見つけにくいかもしれません。黒曜石は含まれる微量元素の違いによって、その原産地の推定が可能となっています。

長野県産の黒曜石


 

さて、三内丸山遺跡では数多くの黒曜石製石器や黒曜石片が出土しており、原産地を明らかにするため1,000点近くが分析されています。その結果、興味深いことがわかってきました。まず、三内丸山にムラができたころは比較的近い県内の黒曜石が使われていますが、ムラが大きくなるにつれてより遠くの原産地の黒曜石が利用されていました。地元産は石器には向いていないようで、あまり利用されていません。最もムラが大きくなる4,500年前には北海道はもちろん長野県や佐渡、山形の月山など日本海側を中心とした各地の黒曜石が出土しています。北海道産は大型のナイフ、長野県産は矢の先に着ける鏃(やじり)に加工され、完成品として三内丸山ムラに持ち込まれたようです。

もちろん、これらの黒曜石は人が運んだもので、多くの黒曜石が集まる三内丸山ムラはまさに交流・交易、物流の拠点であったことがわかります。

プロフィール

岡田 康博

1957年弘前市生まれ
青森県教育庁文化財保護課長  
少年時代から、考古学者の叔父や歴史を教えていた教員の父親の影響を強く受け、考古学ファンとなる。

1981年弘前大学卒業後、青森県教育庁埋蔵文化財調査センターに入る。県内の遺跡調査の後、1992年から三内丸山遺跡の発掘調査責任者となり、 1995年1月新設された県教育庁文化課(現文化財保護課)三内丸山遺跡対策室に異動、特別史跡三内丸山遺跡の調査、研究、整備、活用を手がける。

2002年4月より、文化庁記念物課文化財調査官となり、2006年4月、県教育庁文化財保護課三内丸山遺跡対策室長(現三内丸山遺跡保存活用推進室)として県に復帰、2009年4月より現職。

バックナンバー

本文ここまで