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連載企画

縄文遊々学-岡田 康博-

第35回 難しい言葉 2010年9月3日

小学生低学年と思われる男の子とおそらくその子のお母さんと思われる大人との会話です。

お母さん:「ふーん、いしさじ(石匙)だって。」

子ども :「いしさじってなーに。」

お母さん:「石のスプーンのことよ。」

子ども :「なんかきたないかんじ。」

横型の石匙(ナイフ):刃が下についている


 

新しくオープンしたさんまるミュージアムの展示室での出来事です。

展示品にはキャプション(説明文)が必ず付けてあります。それには正式な名称、つまり学術用語、英語名、時代、そして重要文化財であるかどうかなど、必要最低限の情報が書かれています。この親子の会話は、ある石器の展示ケースの前での会話でした。その石器には「石匙」のキャプションが付いていたので、冒頭のような会話になったと思われます。石匙と名前が付いていますが、もちろん石製のスプーンのことではありません。この石匙は、先端につまみが付いているナイフのことを指しています。

縦型の石匙(ナイフ):刃が横についている


 

この石匙の名前の由来は、江戸時代にまでさかのぼります。江戸の好事家がその形状から『天狗の飯匕(てんぐのめしかい)』とか『狐の飯匕』と呼んだことによるとされ、明治時代に石匙と呼ばれて以来、現在も使用されているわけです。当時、縄文文化に関する知識も情報もなかったわけですから、自分達が見たことも聞いたこともないモノを天狗などのものとしたのはよく理解できます。三内丸山遺跡を訪れた博識の菅江真澄でさえ、厚手の縄文土器を天界で戦争する神々の鎧と考えたくらいですから。

このようにつまみ付きのナイフは石匙を呼ばれるようになったわけですが、このことは考古学を勉強したことのある学生なら誰でも知っていることですが、事情を知らない場合にはキャプションのとおり受け取ってしまうことになります。誤解を避けるためにわかりやすい表現を使うべきだとの意見もありますが、公共の場での展示となるとやはり学術用語を使用することが多く、結果として正しい理解に結びつかない事態となってしまうわけです。

黒曜石製の大型のナイフ


 

ナイフを石匙と受け取られないようにするには、やはりナイフはナイフとはっきりと示す必要があると考えています。学術用語にこだわるのは圧倒的に研究者でしょうが、見学者全体からすればごくごくわずかです。とすれば、だれでも読めて意味が通じる表記とするのは当然のことで、ナイフをナイフと書ける日はそんなに遠くないと思います。私の尊敬する考古学者であった佐原真さんは、以前、わかりやすい考古学を提唱されました。その考えに共感するものですが、実践は思ったより難しいと感じている毎日です。

プロフィール

岡田 康博

1957年弘前市生まれ
青森県教育庁文化財保護課長  
少年時代から、考古学者の叔父や歴史を教えていた教員の父親の影響を強く受け、考古学ファンとなる。

1981年弘前大学卒業後、青森県教育庁埋蔵文化財調査センターに入る。県内の遺跡調査の後、1992年から三内丸山遺跡の発掘調査責任者となり、 1995年1月新設された県教育庁文化課(現文化財保護課)三内丸山遺跡対策室に異動、特別史跡三内丸山遺跡の調査、研究、整備、活用を手がける。

2002年4月より、文化庁記念物課文化財調査官となり、2006年4月、県教育庁文化財保護課三内丸山遺跡対策室長(現三内丸山遺跡保存活用推進室)として県に復帰、2009年4月より現職。

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