国破れて山河あり・・・。このような言葉を思い出すことがあるのです。
日本の敗戦で文字通り焦土と化し、人々の心まで荒廃した時代があったことを豊かな白神の森を見るときに心を過ぎるのです。幼少の私には良く理解してはいなかった時代ではあったのですが、敗戦の貧困を支えたのは北東北の森林であったのは歴史が語るところです。多くの地方の書物は、その隠れた事実を書き残していることからも伺い知ることが出来るのです。
一人ブナの森で思索にふける時間があります。もちろん多くのチャンスがあるわけではありませんが、貴重な自分だけの時間と空間を噛みしめる刻です。風に揺れる木の葉、静かにしているとアカネズミが餌を運ぶ姿、大空を飛ぶ絶滅危惧種のイヌワシの勇姿が大空に輪をつくる瞬間が走馬灯のように感じられ、平和な現在の日本の片田舎にいる幸せを感じるのです。
私が進路選択に悩んでいた学生時代、少しだけ若い世代が「青田刈り」とかと言われ集団就職で上京していたのです。「就職列車」に揺られながら上京した若者たちの不安な思いは計り知れない。この時代は北東北のブナ林が大々的に伐採されていた時代と重なるのですが、日本経済の復興でコンクリートの需要が高まり急激に型枠の需要があったのです。ブナの伐採はその型枠やチップの素材として目をつけられたのでした。「ブナ退治」という言葉が聞かれた時代です。
経済的にも厳しい生活を余儀なくされていた東北の、殊に津軽の人々は若者に限らず大人もまた出稼ぎ労働者として農閑期に中京阪地方に出ていた。経済的に貧しいだけに途中で辞めることもできず過重な労働に耐えたことだろう。若年労働者たちは望郷の念で布団を涙で濡らしたという話は尽きない時代であった。
津軽出身の歌い手さん井沢八郎さんが「ああ上野駅」をヒットさせたのはこのような時代背景があったからだろう。
♪ どこかに故郷の 香りをのせて 入る列車の なつかしさ
上野は俺らの 心の駅だ くじけちゃならない 人生が あの日ここから 始まった
こんな詩を歌いながら辛い日々を過ごした人たちの力が日本を支え、豊かさを築いたのだと思うのは不遜だろうか。