白神山地が世界自然遺産に登録された時分、日本の風のすべてが白神山地に向かって吹いているように多くの旅行者が大挙して訪れた。一日に大型バスが20台から30台とバスプールが足りない程で地元は浮き足立つ始末だった。風のように来て風のように帰る団体旅行が残したのは大量のゴミのみで経済的な効果は期待したほどでもなかった。
「団体旅行」とは、情報の少ない時代にわずかな楽しみを安価で買う庶民の旅だったのかもしれない。「旅の恥はかき捨て」などという言葉が生まれたのは、このような旅が生み出したのかもしれない。いわば、「皆で渡れば怖くない主義」なのかも知れない。
今、2000年代になり団体旅行の人気にわずかな陰りが感じられるようになりつつあるようです。その主な理由は、旅行会社のプランに丸乗りしただけであり「本当に知りたい事」を手にすることが難しいのが実体だからでしょう。昔なら「大きな宿に泊まり、豪華なお膳を前にして、温泉に身を沈める」のが常套手段ではなかっただろうか。それも良いのかも知れないが、何だか満たされない事が長い間続いたのでした。
最近のお客様の動向は「コンパクト」な方向に傾いているようです。団体旅行で手に入れるのが難しいのが「満喫」だとすれば、パーソナル(個人)な旅ではそれを満たす要素が大きくなるからでしょう。「満喫」の要因は、ゆったりとした自分の時間を確保できること、知的な欲求を満足させること、贅沢でなくとも土地の美味しいものが食べられること、そして人との出会いに異文化を見出すことがあげられるでしょう。いわゆる「プライベート・レッスン」並みの料金が伴うことも厭わないお客様のニーズなのです。その分ガイドの質の高さが物を言うことにもなるのです。
私自身、アジアの数カ国を歩いた経験がありますが、前述の要素を満たすことが何よりの土産になったのです。もちろん現地の言葉を話せることが出来たなら、もっと楽しい旅になっていたに違いないのですが・・・。