お客様の来訪が少なくなる晩秋の一日、大阪・京都のお客様を案内した。落ち葉が一面に敷き詰められた道、歩くと枯葉がガサガサと心地よい音を奏でる。殊に大型の朴の葉が足元で壊れる音は日頃の憂さを晴らしてくれる様で快感です。お客様方は競って大きな枯れ葉を捜している。若いとは言えない年齢の方々が子ども還りか童心を覗かせているのが実に楽しいのです。都会生活では決して体験できない事のひとつだろう。
枯れかけた蕗の根元の冬芽を紹介し、人の子が産まれるまで十月十日を母の胎で過ごす。野山の植物たちも芽吹く春を待って雪の下で6ヶ月もじっと待つことを説明する。「いのち」は動物にも植物にも同じ重さだと思うからです。ちょっとごめんね、と冬芽を頂き縦に切ると確かに来る春を待つフキノトウの形が見られるのです。薄い包皮を一枚口に含んでもらう・・・・何とも!さわやかな蕗の香とほろ苦さが口いっぱいに広がるのです。「無農薬だわ」「純国産品ね」「これで一杯やったらウメエだろうネ」と感動の声が森に吸い込まれてゆくのです。即、「縄文人たちもネ、同じものを食べていたかも知れないですね。」「この瞬間に皆さんは縄文人になっていますね」「ワーッ縄文人だって!素敵じゃない!」こんな他愛もない会話が嬉しく楽しいのは自然の力であり、空気であり白神の賜物なのでしょう。
縄文人に変身した彼らは、枯葉の上に仰向けになりブナの細枝が天を挿す澄んだ秋の蒼空を地面から仰ぎ見る至福の時間を共有するのです。何とも贅沢な時間であり、そんな時間を演出できる仕事に携わることができることを嬉しく思うのです。蕗の冬芽に味をシメタお客様は「これ、食べられるンですか?」と矢継ぎ早に食べられるものに心が動き始めます。残念ながら春とは違い、稔りの秋とは言え生食ができるものは少ないのです。「春だとね、食べられる植物が多いのですヨ」と応じる。結果は「違う季節にも来ないと、白神マイスターになれないのね」と自分たちで答えを出してくれるのです。