先の両博士の説によれば「ニワトコ」で酒を作っていたという。またMr縄文の岡田さんの縄文遊々学第8回で「お酒を飲んだ?縄文人」で醸造や蒸留の技があったとかと実に面白い事実が解き明かされている。以前、三内丸山の栗柱の掘立ハウスで縄文料理を頂く機会があったことを書いたが、4000年前のカワラケ(素焼きの杯)で考古学者でもあり俳優でもある刈谷俊介さん、ミスター縄文の岡田さんらと飲んだことがあった。酒は日本酒だったが十分に縄文ビトになったことがある。マ、日本で作られた酒は何であれ日本酒だな。それでも縄文シュゥたちは、多分「外飲み」はしなかっただろうナ。家族や身内で祝い事でもない限り、今で言う「飲み」はなかったことだろう。それは季節により収獲できる果実に違いがあり酒だけを造るためだけに労力を使うことは考えられないからだ。質素な飲みでも楽しい時間を過ごしたと推察される。
それほど「酒」は貴重品であり場合によっては「薬」の役割もしていたのではなかろうか。さらに推測を連ねて行くと「お神酒」に行き着く。神事にあたり神と人を結ぶひとつの素材として用いられていたかも知れない。今でも飲んでコミュニケーションをとるのだから、彼ら先輩は酒を神聖なものとして神様との精神的な交信の材料にしていたのかも・・・と自らの酒飲み体験から想像する。
だって、祝酒、弔酒、別れ酒、再会酒、失恋酒、孤独酒、残念酒、無念酒・・と生活のどこにでも酒が付きまとう。「飲まず人間」は別にして普通(?)は酒が欠かせない。これとて古い時代から暗黙にDNAに埋め込まれ受け継がれたものだと酒飲みの私は思うのだ。今も、傍らにチューハイを置いて打ち込んでいるのだが、飲むほどに饒舌になると言うが、飲むほどに「饒筆」になっている。知恵も湧く、言葉も湧水(?)のように出てくる。酒は心をほぐし魂を遊ばせてくれると思うのだが、この文章を読んで貰えると判ると思うのです。
弘前は「日本一のさくら」が売りだ。広い公園の広場には車座の酒飲軍団が「花より団子」とばかりに盛り上がるシーズンが近づいている。祭りのスターは決して花ではなく「酒」である。先般上京した際に娘の勧めもあり運河の船旅をした。隅田川の土手には満開の桜が咲き都会に住む人で溢れ「華のお江戸」の桜は華やぎに驚いた。ここでも花より団子人間が浅草寺まで長蛇の列が続いていた。
さぞ、この花の咲くのを待ち焦がれたことだろう。へそが曲がった我ら縄文子孫は「やっぱり、桜は弘前だよな・・・」とばかりに我田引水のままだった。縄文先祖様たちもまた、花咲く春の訪れを愛でながらも食料調達の季節の到来に湧き立ったことだろう。単に美しさではなく、生活に潤いと山の幸をさずかる春だったと思うのです。