2008年の年の瀬を前にした12月16日の地元新聞は=「三内丸山」暫定リストに=と報じた。これからは世界遺産条約であるユネスコ世界センターとのやり取りが始まるのだろう。価値ある財産が単に三内丸山に限定されることなく広く「北海道・北東北縄文遺跡群」と幅広い縄文文化の捉え方をしたことに大きな意義を感じている。まだ、登録の入り口にたどり着いて段階だが縄文文化を世界の遺産に高めることは「メソポタミア文明」「黄河文明」「エジプト文明」「インダス文明」に肩を並べる重大な出来事になるようで楽しくなる。
私自身、縄文文化に目覚めたのは遅すぎる位に遅いのです。いわば縄文文化のド真ん中に生まれ育っていながらも気がつかず心を傾けることもなく過ごして来たのです。学ぶことで少しは知識を増やすことができたのですが、距離があり触れる機会のない人に理解してもらうのは至難の業と言えるでしょう。これをクリアする手段は何か…と考えるが私の思考システムでは答えを導き出すのはきわめて難しい。薄学の私にできることは、私が森の側にいることから縄文の人々を考えることできるのかも知れません。
文明の理解は比較的簡単にできるのだろうが、文化の理解には時間を要するのは何とも歯がゆいものがあります。自身が中国やネパールを歩いていて彼らの文化を垣間見ることが出来るが理解の領域までは踏み込むことは難しいのです。もちろん滞在時間やガイドの質にもよるが、理解をして自分の物にすることは時間が必要です。この経験から推して考えると北東北縄文遺跡群を理解してもらう努力には計り知れない難問を含んでいることは疑いないことでしょう。
しかし、北東北が持つ共通した遺跡は今後の観光資源として捉えるだけでなく、現在の日本人の精神文化の基盤と考えることで主張する根拠に足りる素材ではないのだろうか。