秋の短い一日、お客様の姿が少なく久々の陽光に身を委ねてみようと歩いてみました。いつもは、自分で楽しみながらもお客様の案内への心配りが優先するのですが、一人で歩く楽しみは格別です。心なしか空気まで澄んでいるようで全身で深呼吸をしてみました。野草が種をつけ、一足さきに稔りの秋を感じさせてくれます。ヌスビトハギの種は一部が落ち始め「これで冬を迎えられるぞ」と言わんばかりです。コマユミの葉も少しピンクに色がつき楚々と美しさを感じさせてくれて安堵する瞬間があります。中学時代の国語の授業で指導を受けながら詠んだ短歌があります。「道端の 名もなき花ぞ むらさきの 誰ひとりとて 思いよせぬに 」があります。「名もない花・・・」などありはしないのですが、埃にまみれた道端の花の美しさに心をとめた瞬間の閃きでした。
少年の日の駄作を読んだ心だけは失いたくないと永年こころに決めていたのですが、今、楚々として命を結んでいる姿に心を動かせる自分でいられることを嬉しく感じている私です。オリンピックのマラソン選手の有森裕子さんがゴールして「自分をほめてあげたい」との感動の一言に重なるような気持ちです。
見上げると、ヌルデの葉が紅に染まり森の彩の存在感のある脇役として君臨している。夏場には目立たない野草や低木たちの個性が際立つ季節は何となく心が弾む。森の中からカーンと甲高い音がしてガサッと音をたてて落ちたようだがトチの実だろう。実が木にあたり枯れた草の中に落ちた瞬間の見えないドラマです。このトチの実も縄文人たちの貴重な食料源であったのだろうが、随分と永い間人類の傍らで生きてきたのだと思えば、私も縄文人のように歩いているのだと感じられるから楽しい。空中を朴の葉が小船のようにスウィングしながら空間を落ちて、ガサリと着地する。夢を運ぶ小船かとも見間違う心穏やかになる小さな瞬刻です。