毎回、東京縄文塾は、スリリングなお話で盛り上がりますが、
「再発見!三内丸山からのメッセージ」と題した10月29日の回は、またひときわでした。
わたしたちNPO法人縄文発信の会15周年記念と、三内丸山遺跡・特別史跡指定10周年記念として、開かれました。
お一人目の講師は、ミスター三内丸山こと岡田康博さんです。岡田さんは、「縄文は日本文化の母、弥生は日本文化の父」という言葉を紹介されました。これは、日本考古学協会会長の菊池徹夫先生のことばだそうです。なかなか言いえて妙だと思います。会場には、その当の菊池先生も顔を見せておられました。
岡田さんは、パワーポイントを使い、三内丸山遺跡発掘当初の写真を紹介しながら、いかにしんどかったかを切々とお話になりました。「掘っても掘っても、先が見えない、とてつもない遺跡にめぐりあった」というのが、実感だったそうです。のちに、三内丸山遺跡のキャッチフレーズになる「大きい・長い・多い」というのは、この実感から生まれたのだということが、よく分かりました。
二人目の講師は、東京大学教授の辻誠一郎さんです。岡田さんから来た一枚の年賀状。そこには、とてつもない遺跡に取り組んでいることが書かれていました。以来、辻先生は
遺跡と四つに取り組み、縄文時代の自然環境について研究してこられました。
今回は、今まで以上に、刺激的なお話でした。今こそ縄文時代から、日本の歴史を見直してみようというものです。結論から言うと、日本の歴史は、農民だけでなく、わたしたちが考える以上に、多くの山の民、海の民そして川の民がいた。その「里山」「里川」「里海」でなりわいをしている人々の原型は、縄文時代にまでさかのぼるというのです。目からウロコのお話です。辻先生の論が、これから肉付けされ、深まっていくことを期待したいと思います。
そのあかつきには、菊池徹夫先生の言われる「縄文は日本文化の母」という言葉が、しっかりと定着することになるでしょう。