はだしで歩き回り、ご馳走を手づかみで食べ、満腹になると地面でごろ寝。春爛漫のお花見の宴に石器時代人が一人混じっているぞ!といわれても仕方ない不審人物に、宴の最中に異常接近のうえ話しかけられました。それが小山修三先生との最初の遭遇でした。
思い返せば出口のない縄文ワンダーランドへの、これが最初のいざないだったのです。
縄文?歴史教科書にはたしか太字で書いてあった時代…?(今はどうなのでしょうか)くらいの認識しかない学生あがりの絵描きだった私は、どう見ても野蛮人との遭遇に見えた(失礼)この小山先生との出会いを契機として多くの道先案内の師と出会い、知れば知るほど面白く 思いがけない発見に満ちた縄文探検の旅につれてってもらうことになったのでした。
その旅は、あちこちの現場に小山先生と足を運ぶフィールドワークによって始まりました。
見かけによらず国立民族学博物館の准教授(当時)であり、考古学者でもあった先生はその両方の立場から日本の石器時代にアプローチしようとされていたのです。
遺跡に出向き、出土品を見る、それだけではなく現代にも残る人の技や暮らしぶり、行事や祭りを体験して、遠い祖先の時代に光を当てようというのが先生が実践しようとしている流儀のようでした。
そこからイメージできた古代の人々は生き生きと人間らしい暮らしを営んでいました。子供が遊び、若者が恋をし、焚き火を囲んで物語をしながら長い夜を過ごす村人の姿がそこにはありました。
その姿を写真に撮ることはできないので、絵に描きとめることが必要だったのでしょう。駆け出しの絵描きを拾って「カメラを拾った」と先生は考えたそうです。
つまり私の役目は 考古学者の先生方が頭に抱いているイメージを現像して、いかにも本当にあったことのように絵にするということです。
そういうと語弊がありますが、同じ時代、場所、出土品からでも 個々の研究者がそれぞれ異なった復元イメージを展開することはままあることです。
同じ場所を旅してもそれぞれの道先案内人によって目に留まるもの、聞きとめることが違うように、私が描くイメージも違ってくるのです。
こうして少しピントの外れたアナログカメラである私を、本当にたくさんの人々が縄文探検の旅につれていって下さいました。
見たこと聴いたことを私の中でトリミングしクローズアップし、トータルに折り合いをつけて紙に現像してゆかねばなりません。その作業はときに戸惑い、ときにこの上なくエキサイティングなものでした。
行き掛かり上、足を踏みいれた縄文時代への旅ですが、そこで見つめることになったものはなんだったのか。私がフォーカスを絞って描きとめようとしたものは何だったのか。
そのような問いかけを自分に発しつつ、「ちょっとピンボケ縄文探検随行記」というようなものを、この場をお借りして書き連ねてみようと思います。
まずは文字通り「縄文探検」がタイトルの本を著される過程で、縄文へのフィールドワークを紐解きつつ、現代に息づいている縄文文化の驚くべき洗練された姿を明らかにされていった小山先生との探検事始から。 (次号へ続く)
安芸 早穂子 HomepageGallery 精霊の縄文トリップ