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連載企画

縄文遊々学-岡田 康博-

第41回 母なる縄文文化 2011年1月31日

先日、世界遺産縄文講座が青森市にある県立青森戸山高校で行われました。世界遺産縄文講座は本県を中心とした4道県が目指している世界遺産や本県の縄文遺跡・文化について正しく知ってもらうために、県内の主に小・中・高校・大学などで昨年から青森県教育委員会が開催しています。

橋本教育長の講演の様子


 

昨年は8校、今年も8校で開催しました。講師は三村申吾青森県知事や橋本都青森県教育委員会教育長、そして私や文化財保護課の専門職員も講師を務めています。

学校を訪問し、スライドや出土品の実物を使いながら、できるだけわかりやすく説明することを心掛けています。時間は学校の時間割に合わせていますので、50分から約1時間といったところでしょうか。

さて、今回の講師は著名な考古学者である菊池徹夫早稲田大学名誉教授に御願いしました。先生は、4道県で進めている縄文遺跡群世界遺産登録推進専門家委員会の委員長を務めています。御専門はもちろん考古学で、特に北方考古学の第一人者です。学会である日本考古学協会の会長という要職にも就いておられます。

当日は先生から、世界遺産についての基本的なことや縄文文化の重要性などについて丁寧にお話いただきました。その中で、特に私が印象に残ったのは、日本文化の成り立ちについてでした。現代の日本文化を考えるとき、縄文文化は母なる文化であり、縄文文化がなければ現在の日本文化は成立していないと話されました。

そして弥生文化は父なる文化であるとも話されました。この二つの文化が日本文化の基層を形成しているとのことでした。私も全く同感です。現在の日本文化を構成している様々な要素を見てみると、その起源や影響を縄文文化にまでたどることができるものが相当あります。しかし、その系譜を縄文時代から現代まで、系統的かつ学術的に証明するとなるとそれはかなり難しいのも事実です。

もちろん、そのような研究をされている方もいらっしゃいますが。また、先生は、縄文文化は青春時代の文化のようだとも話されました。常に等加速度的に成長するわけではなく、立ち止まったり、壁にぶつかったり、回り道をしたり、それでも前へ進んでいく文化、それが縄文文化であると。

菊池先生の御講演の様子


 

私達は文化の成熟度や到達点といった、ともすれば結果を重要視しますが、その文化の歩み、過程をしっかりと見ることも大事なことではないかと改めて思った次第です。

日本列島では縄文時代以降、少なくとも人種の交代といった出来事はないとされています。当然、私達の先祖である縄文人の様々な文化的伝統を受け継いでいると考えるのが自然だと思います。しかし、日本列島は島国ですが、常に大陸や半島から影響を受けていたことも知られています。でも、大陸や半島の同時代の文化とは違う発展をし、日本列島独特の縄文文化を形成していたわけです。

プロフィール

岡田 康博

1957年弘前市生まれ
青森県教育庁文化財保護課長  
少年時代から、考古学者の叔父や歴史を教えていた教員の父親の影響を強く受け、考古学ファンとなる。

1981年弘前大学卒業後、青森県教育庁埋蔵文化財調査センターに入る。県内の遺跡調査の後、1992年から三内丸山遺跡の発掘調査責任者となり、 1995年1月新設された県教育庁文化課(現文化財保護課)三内丸山遺跡対策室に異動、特別史跡三内丸山遺跡の調査、研究、整備、活用を手がける。

2002年4月より、文化庁記念物課文化財調査官となり、2006年4月、県教育庁文化財保護課三内丸山遺跡対策室長(現三内丸山遺跡保存活用推進室)として県に復帰、2009年4月より現職。

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