「ビーナスもありますよ!信州へ行きましょう!」
今は亡き佐原眞先生のはつらつとした声が思い出されます。先生とテレビ取材のスタッフとの大所帯ではありましたが 信州尖石、与助尾根遺跡への旅は私の視線を変えた旅です。
「土器は蛍光灯の光で見てはいけません。土器は炎の光で見るものですよ。」
佐原先生は物を見るということに この上なく真剣でひたむきな方でした。
初めてみるもの、心を動かされるものを見つけると素早くスケッチブックを取り出してスケッチをされました。それが博物館の廊下でも 遺跡の土の上でも かばんを放り出し、その場にしゃがみこんで一心にスケッチをされます。
私は先生のその姿を見るたびに 自分の怠慢さを恥じました。
ですから今回は常に携帯できる小さなスケッチブックを持ち、カメラは無し。
記録はメモでも写真でもなくスケッチでと心に決めての出発です。
そのおかげで 発掘現場、資料館、そして与助尾根の復元住居址でもけっこう臨場感のあるスケッチができました。
「何を描きましたか?」スケッチをしているのを見ると佐原先生は子供のように走り寄ってきて覗き込まれます。 次に言葉を惜しまず礼賛をされます。「生き生きしている!素晴らしい!ねえ皆さん、見て御覧なさい!」
まぁ プロなので上手くて当然なのですが、褒められるとやはり子どものように嬉しかったです。
先生がTVクルーとともに与助尾根を訪ねられた理由のひとつは ここが史跡公園として整備される前に映像を残すためでした。 「どうです?林の中から本当に縄文人が出てきそうでしょう? この素敵な風景をゴルフ場みたいな芝生にしてしまう。」と腹立たしげに話されました。 確かに当時の与助尾根復元住居は野趣のある野と林のなかで時が与えたなんとも言えない存在感をもっていました。
佐原先生たちが撮影をされている間に、私は一人であちこちを探検してみました。 復元された竪穴住居の中に入ると 出入り口と屋根の煙孔から光が差し込んで、暗がりにほのかな明るさを与えています。少しづつ目がなれてくると、狭いながらも 穴とそれを覆う屋根に いかにも守られている感覚を持ちました。
この空間に暮らした家族はきっと親密な一体感を分け合ったのだろうな。 ここで彼らが過ごした夜は、長い冬は、どんなだったろう。
身を寄せ合って眠る親子の姿を想像してみました。狐の足音、フクロウの声、風が林を駆け抜ける音。彼らはいったいどんな夢を見たのでしょうか。
ぽっかり明いた出入り口の光、掘り下げた竪穴の床から一段高い地面に手をついてその光の中へ出てゆくとき ふと気がつきました。 この出口を出るときはいつも地面がこんなに近いのだということに。
風に揺れる草々がちょうど目の前に見えます。 土の香りと草いきれ。 小さな花にとまる羽虫、トンボ、手元から青蛙がぴょんと飛び出ます。 それらが顔から数センチの目前に展開する世界でした。「 あ、これか!」この土地の縄文土器に頻繁に現れる蛙やヘビのイメージが目の前の光景に重なりました。
住処を出るたびに 彼らはこの風景を見たでしょう。朝に夕に、雨や嵐の日に、静まり返った雪の朝に・・・どの季節、どの時刻にも出口で最初に目にするものがこれなんだ。私たちが玄関を出るのとは全く違う、地面と殆ど同じ高さの視線、土についた手がとらえる日々の土地の感触。
観察画を描くとき、心を奪われる野の花のたたずまいを思いました。見知った一輪の小さな花であっても、雄しべ雌しべの形から隠れて見えない花弁の付け根に至るまで、自然の造形は驚くべきディテールに溢れています。
縄文の村人は家を出るたびにそれをクローズアップで目にしていたんだなぁ。
復元住居のまわりを歩くと、バッタやこおろぎ、トカゲに蛙と、一歩進むたびに何かが飛び出てきます。 豊かに生き物で溢れる野と林を歩きながら、佐原先生はひたすらこの風景を喪くすことを惜しんでおられました。
遺跡のかもし出す情緒というものをとても大切に思っておられた先生。その先生にも、その後あのように早く、もうお会いできなくなるとは、当時の私は思ってもいませんでした。
与助尾根の林に立って見上げれば、雲をまとった信州の山々が、竪穴住居の屋根と同じに 縄文の村を静かに懐に抱いてくれているようでした。
( 次回は ストーンサークルの旅! )
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