復元された縄文村の竪穴式住居。
ここでワークショップができる最大の幸せは、その空間で、見聞きし、感じ、何かの作業に没頭(トランス)する時間を体験できることです。
そこでは「何を作るか」よりも、「何かをすること」自体が目的になります。
縄文的空間、時間、身体、そして精神の統合した体験こそが理想的な追体験になるはずではありませんか。
今年はとても素晴らしいことがありました。
遺跡のお月見コンサートに招待された民族楽器奏者の奈良裕之さんがワークショップの場である大きな竪穴住居の空間でまず演奏をして下さいました。
子供たちと音を分け合う
時間の流れが早くなったり遅くなったりするような、空気が突然色を持つような、今まで聴いたことがないのに懐かしいような 不思議な音の体験。
「まず目を閉じて静かに瞑想してください」 奈良さんは演奏の始めにそう言いました。
そうすると 今まで全く気がつかなかった虫の鳴声や、遠くの人の声、梢が風になる音などが聞こえてきます。
そこに奈良さんの身体から発せられる風のような音が現れてきました。風は石笛の中に吹き込まれ、しなる木のスピリットキャッチャーに追いかけられて歓声を上げ、滑り台に駆け上る子供のように小さな木の笛を走りぬけて響きました。
縄文とケルトのお話になるということで
古代ヨーロッパの鉄器文明ケルトの出土品を眺めながら
月の仮面つくりとしゃれ込んでみました。
秋の野飾りを添えて・・・
私たちが仮面つくりの作業に入っても 奈良さんは手を休めずにずっと楽器を奏でていてくれました。
月の光の仮面・・・今年はケルトの月と縄文の月というコンセプトです。大人も子供もはじめそろそろ、やがて没頭。
大きな竪穴住居の空間、駆け巡るリズムとイメージ、そして作業に没頭する行為。なんとゴージャスな縄文体験でしょうか。
奈良さんが打楽器を打ち鳴らすと そのリズムに乗って竪穴の中の空気が震え、その振動が身体に波及し、なんとも心地のいいノリでどんどん作業がはかどります。 トランス体験が訪れるのは 何の劇的瞬間でもなく、このように自然でソフトな流れの中なのか と思いました。
奈良さんは音を波動と捉えると話されました。
虫の羽音、細波のたつ水面、木の葉づれ・・・
あらゆる自然存在の中のかすかな振動としての音と共振すること、分子レベルから天体運動までを満たしている波動と共鳴することが 人が楽器を奏でるという行為の根底にあると気づかせてくれる音楽。
それを 奈良さんは私たちに体験させてくれたのではないでしょうか?
街に購買意欲をあおるべく流れる大音響のセールスソング。それに慣れっこになっている私たちの耳は 木から、土から、鉄から、空気から、しなやかに穏やかにかもし出される音の波動を ほっとしながらむさぼり聴く。波動はやがて身体の内と外の世界を共鳴させ 溶けあわせる。それがトランス。
その時空で ねじれ、反転し、現れては消え、消えてはよみがえるあの縄文の紋様が共有される。それは線であり面であり、音であり言葉であり、変転する物語の楽章。
解き放たれた精神は 草木や獣、石や水のあらゆる存在と共鳴し空間と時間を自由に駆ける。
縄文の紋様はそういう共通体験を持った人々から生まれて 共有され、受け継がれていったように思えてなりません。
おおらかに厳粛な縄文村の公共空間で リズムに身をまかせながら、無我に作業に没頭する人々の姿。
数千年の彼方の人々と共振する身体と空間が、炉の光に照らし出されて蜃気楼のように見える音とものづくりの体験ワークショップでした。
安芸 早穂子 HomepageGallery 精霊の縄文トリップ
Tweet