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連載企画

縄文遊々学-岡田 康博-

第40回 秋の味覚キノコ 2010年12月2日

キノコ形土製品 階上町野場(5)遺跡
縄文時代中期 青森県埋蔵文化財調査センター 蔵

 


秋は実りの季節です。縄文時代には、森や川では食料があふれるほどあったことでしょう。木の実やキノコ、そしてサケ。縄文人は秋の味覚を楽しみ、そして冬の間のための大事な保存食として、時間を惜しんで秋の味覚を求めたに違いありません。

秋の味覚を代表するものにキノコがあります。もちろん、縄文時代にもキノコはありましたし、食べていたと考えられます。証拠となると人間が食べたものについては消化されてしまうため残りませんが、人間と密接な関係があったことを示す出土品があります。

そう、粘土でキノコそっくりな土製品を作っていました。キノコ型土製品と呼ばれています。北海道から南東北まで分布していますが、圧倒的に青森県、しかも県南地方から多く出土しています。

時代は、縄文時代中期後半には出現しますが、後期のものがほとんどと考えられます。三内丸山遺跡からも数点出土しています。このキノコ型土製品ですが、よく見ると様々な形がありますが共通しているのは「カサ」と「柄」の部分があるということです。

忠実というか、まさしくキノコの特徴を良く表しているといって良いでしょう。さて、これらのキノコ型土製品は何のために作られたのでしょうか。考古学者の鈴木克彦さんとキノコ研究者の工藤伸一さんは、食用キノコを採集する際の『縄文版キノコ図鑑』ではないかと考えています。

キノコの種類は一万種を越えるとされ、その中から毒キノコを見分けるより、安全なキノコを見分ける方が確実であり、その情報を伝達するためのものと推定しています(鈴木克彦・工藤伸一「キノコ形土製品について」 『研究紀要』 第3号 青森県埋蔵文化財調査センター 1998)。非常に魅力的な説ですが、自然を熟知し、自然とともに生きた縄文人が、あえてこのような見本を必要とするのか疑問が残ります。

各地のキノコ形土製品 泉山・近野・才ノ神・韮窪
三戸町泉山遺跡、青森市近野遺跡、中泊町妻の神遺跡

縄文時代後期 青森県埋蔵文化財調査センター 蔵

 

自然界には他にも危険な植物が存在しますが、それらの土製品が残念ながら遺跡では見ることができません。また、時代性や分布の偏りというのも気になるところです。むしろ、より多くの恵みを願う、豊穣を祈願する際に使われたものと考えるのが自然のような気がします。

ちょうどこのようなキノコ型土製品が出現する時代は寒冷化したことが知られており、そのことが食料の減少につながった可能性があります。その食料事情の不安定な時期に出現するわけですので、豊かな自然の恵みを期待するあらわれとも考えられるわけです。

プロフィール

岡田 康博

1957年弘前市生まれ
青森県教育庁文化財保護課長  
少年時代から、考古学者の叔父や歴史を教えていた教員の父親の影響を強く受け、考古学ファンとなる。

1981年弘前大学卒業後、青森県教育庁埋蔵文化財調査センターに入る。県内の遺跡調査の後、1992年から三内丸山遺跡の発掘調査責任者となり、 1995年1月新設された県教育庁文化課(現文化財保護課)三内丸山遺跡対策室に異動、特別史跡三内丸山遺跡の調査、研究、整備、活用を手がける。

2002年4月より、文化庁記念物課文化財調査官となり、2006年4月、県教育庁文化財保護課三内丸山遺跡対策室長(現三内丸山遺跡保存活用推進室)として県に復帰、2009年4月より現職。

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