マタギサミットという響きは タクアンパフェ と同じくらい不思議な響きではありますが、このネーミングの心意気がわかる経験をさせて頂きました。
正式名称は「ブナ林とマタギの会」。長野から青森まで、ブナの森を多く残す朝日連峰を猟場にするマタギが一堂に会して情報を交換し、共通の問題について学び、語り合い、新入りも古参もが一年ぶりの親交を深めるといった集いです。
今は東北芸工大の教授になられた田口洋美先生が中心となって続けてこられました。
幹事はそれぞれの県の猟友会の持ち回りで、私が参加をさせて頂いたのはほんの2回だけですが、一度は月山、2回目はマタギ発祥の地といわれる秋田の阿仁町でした。
私がマタギサミットの名前を初めて耳にしたのは、山形と新潟の県境を流れる三面川の上流、奥三面縄文遺跡群を訪ねたときです。
遺跡調査室長の高橋さんが車を運転しながら、「去年のマタギサミットのときにねぇ・・・」「あの、スミマセン!今なんとおっしゃいましたか?」「・・・マタギサミット」「・・・それマタギの会議かなんかですか?そんな素晴らしいものがあるのですか!?? 」 「うん、今年は鶴岡あたりだな・・・山形の当番だから」「!」思わぬところで宝物を見つけた気がしました。
高橋さんに山菜の頃またいらっしゃいといわれて再び尋ねた5月、山菜採りのガイドについてくれた鈴木さんは、普段はみんなにおじいちゃんと呼ばれている好々爺ですが、この日ばかりは腰にカゴをさげた姿がしゃきっとキマッて妙に格好がよかった。
そして6月、ついにマタギサミットに参加させて頂いたとき、そこに鈴木さんの姿を認めて「なるほど」と・・・発掘の手伝いをしているのは世を忍ぶ仮の姿、山に身を置けばしなやかに獣を追うハンターがこのおじいちゃんの本当の姿なんだと知りました。
昨今のマタギの暮らしは鈴木さんのように生活基盤は勤め人や民宿経営、猟が解禁になると猟友会としておもに週末に狩りをするということらしいです。
最も歴史の古い職業であろう狩人は、時代と風土の急激な変化にさらされているのですね。
マタギサミットに集まるその狩人たちは 口下手で、宴席でも酒を飲まないと舌も回りださないけれど、いったん猟の話を始めると目が輝き始め、ぽつりぽつりとお国訛りも豊かに手柄話や失敗談を聞かせてくれました。
「漁は月夜。新月はしない。」ある川漁の漁師はこういいました。「そのココロは?」と問うと、「月夜にはうろこが光るのよ。」・・・月光に輝く魚影を追って小舟を漕ぐ漁師の姿が目に浮かびます。凄みのある話ではありませんか。
長野から来たという壮年の猟師は、穴ぐらで まだ冬眠している熊の気配と寝息を、そこにいるかのように語って聞かせてくれました。
また情報交換会では、ある地区が、ここ数年ウサギの数が減って「ウサギ汁なんぞもう何年も食ってねぇ!」と嘆くと、皆がいっせいに気の毒がって「あ~かわいそうに!! ウサギ汁も食ってねぇのか!? おれっちへ来い! 腹いっぱい食わせてやんぞ~!」
話題に上っていた “熊の油”の使い道について例の鈴木さんにそっと尋ねると
「この油はな、冬に山へ行くとき体に塗る。だいぶ寒さがましになる。」
「どんなとこに塗るんですか?」と聞くと、にやりと笑って
「好きなトコに塗る」
思わぬシモネタも粋なおじいさんです。
熊撃ちの話になると 皆いっせいにテンションが上がって、今年は何頭撃ったの、どでかいのを仕留めたのと 手柄話に花が咲きます。みな熊猟の解禁日を心待ちにしていることがよくわかります。それほどマタギにとっての一大イベントなのですね。
私の印象では若い人たちが 口も達者で威勢がいいのに比べて、年季の入った猟師たちには控えめな寡黙さがありました。 何年もの間 大自然と対峙してゆくことが 人間の謙虚さを引き出してゆくのかなと ふと思ったりもしました。
数えるほどの話を聴いただけですが、この人々が鮮烈に語って聞かせてくれる狩りの風景が 私には何にも変えがたい縄文時代へのインスピレーションの泉でした。
もちつもたれつの命を狩るという行為。
身体の体験として受け継がれる知恵と技。
そこにあるのは言葉にはできない感覚、
もとより言葉にするべきではない深遠な哲学なのかもしれません。
(マタギサミットは次回後編に続きます!)
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