明るい土色の瓦をパズルのように屋根に並べて、崖っぷちにしがみつくように家々が立ちならぶ。 真冬の西日のなかで、崩れ残った城壁の影が長々と深い谷底にむかって伸びてゆく。 どこからか悲鳴にも似た豚の鳴き声がして、 少女たちがむしっていたガチョウの羽が風に舞ってゆきます。
・・・やがて家並みの煙突から夕餉の煙がたちのぼると、その光景はまるで一枚のブリューゲルの絵でした。

中世山上都市 vitorchiano (イタリア Lazio県)
にわか雪を帽子に積もらせて 村はずれのあちこちに見たこともない東洋人の一団が座り込んでいる様子は 村人にすれば異様な光景だったでしょう。
ピレネーの山並みに程近い名も知れぬフランスの寒村で 使い捨てカイロを体中に詰め込んだ私たちは、誰もが一心にスケッチをしていました。
教会の塔に残照を残して村は 深い谷の闇に隠れていく。世界では1980年が暮れようとしていましたが あの年、あの日々、私たちが描きとめた風景は紛れもない中世ヨーロッパの村でした。
私が画学生であった頃、日本画科に石本正という教授がおられました。
京都画壇ではすでに名実ともに最高峰の一人と目されている方でしたが、威張っているわけでもなくたまに教室にやってきて指導されるそぶりも飄々として、至って実直謙虚にお見受けしていました。

Moissac 修道院正面タンパン (フランス Tarn-et-Garonne県)
中世の姿を色濃く残すヨーロッパの村々に、私たちが教わったルネッサンス以後の価値観では計り知れない美術の姿を求めて、先生は2年に一度、学生や作家諸氏を連れて旅をされました。一台のチャーターバスに30人ほどが乗り込み、1ヶ月からときには2ヶ月にわたって、東洋人など見たこともない人々が暮らす村々を巡り、地元の人にも忘れられたような山奥の修道院や礼拝堂を訪ねる、思いっきりストイックでマニヤックなツアーです。
その修練の旅を通じて石本正先生は中世ロマネスク美術の真意とでもいうべきものを私たち学生に体験的に身体的に教えて下さったのだと思います。
真冬のヨーロッパ、薄暗い冬日の中に息を呑む美しさで現われる山上都市の景観と中世人の審美眼を私はこのスケッチ旅行で初めて知ったのでした。
旅のはじめに参加者には薄い冊子が配られます。
それは凄惨なほどぎっしりと詰め込まれた旅の行程表であり、石本先生自身の書き込みによる実に仔細を極めた案内の書でした。
名も知れぬ村の礼拝堂から大聖堂の奥の奥に隠された小さな壁画まで、どうやって調べたのか!? というほどピンポイントな場所・作品の選定と解説は それを見るためにまさしく全霊を傾けておられる石本先生自身の意欲と渇望を物語っていました。

スケッチから
真冬に行くのは山上都市の景観を樹影に邪魔されないためと観光客を避けるため。クリスマスも正月もお構いなくぎっしりとスケッチと見学の嵐。しかも先生に興味のない場所はそれがピカソでもラスコーの洞窟でも一瞥だにされません。
ただひたすらに石本先生の探求に随行するツアー。
しかしその旅の間じゅう、夜明けから日暮れまで貪欲に駆けずり回り、ひたすらに研鑽される先生の姿を目の当たりにして、なまくら学生だった私は深い感銘をうけたのでした。
寒村の教会で数百年のあいだ楽器を奏でながらキリストを見上げ讃えつづける みごとな石彫りの楽師たち。
忘れられた礼拝堂に眠っていた金色の羽の竜と鎧姿の聖ジョルジュ。
素朴で稚拙ともいえる技法ながら えもいわれぬ慈愛を湛えた表情のキリスト。
「この素晴らしい壁画を描いたのはこのあたりにおった名も知れぬ画家や。
いうなれば読み人知らずの絵やな・・・これが本当の祈りのある絵というものではないかなぁ」・・・すでに名を成された先生の口から漏れる揺らぎに満ちた自問の言葉の数々は、贅沢な真の体験授業でした。
――次回につづく
安芸 早穂子 HomepageGallery 精霊の縄文トリップ