美しいドルドーニュ渓谷からピレネーをめざし、やがてスペインに入ると 風景はさらに中世の陰影を色濃くしてゆくように思われました。朝から日暮れまで、いくつもの山上都市を描き、鍵の管理者を捜し歩いて礼拝堂を開けてもらい、そこに眠っている純朴で高貴なフレスコと対面する。
今思い出しても至福の美の探究ツアーでした。

サント=ドミンゴ=デ=シロス修道院の回廊から
石本先生の言葉
「芸術はローカルでなけりゃいかん。ロマネスクはローカルだよ。土地に根ざした狭い範囲のものだ。」
「ロマネスクを暗黒だなどと教えるのはプロセスを重視しすぎるからだ。目的のある仕事としての絵がロマネスクだ。そこにあるのは人間の精神の姿だ。」
静かな牧草地帯の向こうに見えたサント=ドミンゴ=デ=シロス修道院にはスペインロマネスク美術の至宝といわれる柱頭彫刻をもつ回廊がありました。石に彫られたキリストと12使徒の物語は本当に素朴で敬虔な祈りに満ちたものに見えました。
それらはダ=ヴィンチやレンブラントなどの西洋古典絵画として見知ったものとは全く異種の価値観、異種の美しさを湛えたものでした。
それが人間の精神の発現されたかたちであると納得するには私たち学生はまだ若すぎたかもしれません。

トスカナの宝石のような中世都市シエナ
小さな螺旋階段をのぼって塔の上から描きました
それでも 中世寺院がもつこの回廊という空間に私は強く魅せられました。 緑の中庭を四角く囲んでロマネスク様式の彫刻に飾られた柱が林立する石の廊下・・・そこをぐるぐると歩き続ければ終わることのない時と空間が、祈りと静寂の中に保証されているのでした。
歩みを止めることなく思索することはとても良いことだと思います・・・数々の分散して浮遊する思い、到底答えの見えないような問いに道標を見つけ、導きの光を見出すためには。
「ナルチスとゴルトムント」というヘッセの小説があります。「知と愛」という翻訳もありましたが、ナルチスは僧院で真摯に日々思索することから 人生のあらゆる体験を導き出してゆく知性でした。・・・静かな回廊を歩きながら問答を自分に繰り返すナルチスの姿を思い浮かべてみました。

スケッチから
ちなみに私はゴルトムントになりたかったことも思い出しました。ゴルトムントは手痛い失意や失恋の試練を超えて激動の人生を流離い、その旅の末に自分と自分を生かす愛 にたどり着きます。 二つの精神は長い修練の道のりを経て、再び僧院の回廊で邂逅するのでした。
翌日 サラマンカの大聖堂で 辻邦夫が「サラマンカの月」に書いた回廊をめぐりながら 私は今しがた聞いたジョン=レノン暗殺のニュースについて思いをめぐらせました。1980年12月9日、スペインの小さな町にも彼の顔写真が溢れていました。
・・・次回につづく
安芸 早穂子 HomepageGallery 精霊の縄文トリップ