石本先生はジョン=レノンをご存じありませんでした。たしかにバッハやグレゴリオ聖歌と並べてアトリエでビートルズを聴く必要はないのでしょうが、さすがに世間離れした人は違うなぁと皆で大いに感心。

ナポリのエトルスク博物館にある石棺からスケッチ
数ヶ月に及ぶ寒村ツアーでは、宿屋の部屋の当たりが悪くて真冬に水のシャワーしかないとか、ベッドが石のように硬いとか、三日も同じ夕食の献立が続くとか、想像に難くない日常の問題がおこりますが、石本先生が何かに文句を言っているのを見たことがありませんでした。絵を極めるという目的以外のことには 先生は本当に淡白で寛容・・・というより無関心です。
飄々とした先生もしかし、スケッチのポジションとなるとたとえ相手が学生でも、なりふり構わぬ競争心むき出しで争奪戦に参加されます。
あるとき皆が村の絶景ポイントを探していると、いきなり砂煙を上げて谷に駆け下りていく人影が。抜け駆けしてでもベストポイントは誰にも譲りたくない先生のいつもの気迫ですが、やがて汗を拭き拭き戻ってくると 「前に来たときは下の河原から見たの(村の景観)がものすごぉええと思うたがなぁ・・・若かったからかなぁ・・・」
コンスタントに2年ごとに先生のツアーは続き、やがて北と南の2回に分けてそれぞれ1ヶ月づつ、イタリア半島をしらみつぶしに巡るツアーが敢行されました。

スケッチの腕前がよくないので
法悦とまでいきませんが・・・
それらの旅では、ローマ帝国以前に地中海で栄えたイタリア半島の先住民、エトルスク人の文化が、後に花開くローマの美術や建築に深く影響していることを学びました。洗練されたルネッサンス都市の代表格であるフィレンツェやシエナを有する地方「トスカーナ」の名はエトルリア人の土地という意味だそうです。
エトルスクの出土品が多く展示されているナポリの博物館に、石本先生がどうしても見たい石棺がありました。
博物館の入り口をぬけると、いつものようにどんな名品も素通りして、小走りにひたすら石棺の展示室を目指します。そうして行き着いたのは天窓から差す光に包まれた静かな部屋です。
・・・その石棺の上には石造りの睦まじげな夫婦が、まるでベッドでくつろぐように悠々と横臥しているのでした。 寄り添って上半身を起こし、ともに行くべき黄泉の国を見つめるようなその美しい石像の表情を見て先生は、「得も言われん表情やねぇ、これは法悦の表情だね・・・死の法悦とでもいうかなぁ・・・・・・・・死とはそんなに幸福なものなのかなぁ」

エトルスクの石棺
いかにも満ち足りて微笑さえうかべ、死に身をゆだねる古代地中海の人。その「得も言われぬ」表情を、先生は何枚も何枚もスケッチされました。
花開く文化には母胎となる文化があり、その原初から時代を貫いて人の心を打つ石像の表情は根源的な力に溢れていると、多くの言葉を費やすことなく先生は教えて下さったのでした。
古代にも中世にも今日にも、普遍的にある崇高な人間の精神の姿、その高みから香りたつ真の美しさ・・・石本先生が探求されていたものは、そういうものであったのかなと近頃ようやく思い至りました。
安芸 早穂子 HomepageGallery 精霊の縄文トリップ