土器また土器が天井から床まで右にも左にも各棚に何列にもずらりと並び、まさに土器で埋め尽くされているといっていい光景です。 圧巻とはこういうことを言うのでしょう。三内丸山遺跡の収蔵庫を表現するとこうなるでしょうか。
「大きさと量!」三内丸山遺跡発見のニュースが 日本中を駆け回っていたころ、大発見の見出しにいつもこのせりふがありました。 その規模の大きさもさることながら、まさしく未曾有の量の土器片が丘をなして埋もれていたという衝撃。来る日も来る日もベルトコンベアが運び出す土器片のその桁違いの量が、考古学に何の関心もなかった人々をも驚きに沸かせたのでした。
それらの破片をつないで復元された膨大な数の土器を収容する三内丸山遺跡の収蔵庫に、何度か入らせて頂く機会に恵まれました。なかでも今年一月には、さらに圧巻な光景を目撃しました。
目の不自由な研究者たちが 所狭しと居並ぶ土器を片っ端から触って「見学」しているのです。 私はしばし その手と指の際立った動きに見入ってしまいました。
「本物土器の おさわり」に励む広瀬先生
昨年、小山修三先生と民博の広瀬浩二郎先生がリーダーで始まった「誰もが楽しめる博物館(ユニバーサルミュージアム)研究プロジェクト」のメンバーは、広瀬先生をはじめ、弱視や全盲などの視覚障害をもつ研究者を中心にした構成になっているのです。
広瀬先生いわく「触学・触楽・触愕」(さわって学ぶ、さわって楽しむ、さわって愕く)。展示のバリアフリーのあり方から博物館の存在意義までを問う研究の始まりが、この収蔵庫で本物の土器に触らせてもらう体験です。三内丸山遺跡調査室が提供して下さったこの機会は本当に貴重なものでした。
また私は、ビジュアル表現から離れられない者として、視覚以外の感性の使い方を熟知している方々に学びたいことが山ほどあったので、これはいわば至福のマッチングでした。
ではその研究チームによる実験的「見学」の様子を スケッチするかわりに 視覚障害のある人に伝わるように言葉で描きとめるとしたら どんな感じになるのかなと考えながら実況中継してみます。
実況中継(録画)
小さな土器はまずそっと二つの掌に持ち上げられて 小さな存在を確かめられます。大きな土器はその重さで存在を主張してしばし手を止めさせ、指が触れたさきに興味深い感触を発見した場合には 注意深く持ち上げられます。
指は、目に導かれるのでなく,それ自身でうごき始め、土器表面と皮膚の間に生じる数多くの交感にたいして一心不乱になっていくようでした。
その指はトンと軽く叩いて音を聴いたり、たち止まって小さな突起や、それこそ目に見えないような微細な継ぎ目や、小さな穴をも探り当てます。 その度に手の持ち主の表情に 驚きや疑問や 心地よさや感動などがあらわれます。
その間も指は休むことなく貪欲に探索を続け、表面を一巡すると次には手の全体となって器のなかに押し入り、私が一度も見たことがない土器の内側を縦横に動き回って 私の何倍もの情報を採集しているようでした。
指を操る人の脳神経の森では、思考や記憶や言語中枢などと、皮膚が感じとる感覚や聴覚、臭覚との間に濃密な会話が繰り返されているのでしょう。
そこではどのようなイメージが形づくられているのか・・・私が見ているものと 指で読み解くこの人に現れているイメージとは どちらもが真実の土器で どちらもが仮想の遺物である・・・などと そのような感慨が湧いてくるのでした。
中継終わり
「視覚障害者にとって 触ることは発見であり共感であり、対話なのです。」研究者メンバーのひとり半田こずえさんの言葉です。
しなやかにカーブする土器のざらついた表面に細い縄目でつけられた仔細な紋様と、半田さんの繊細な指が、このうえなく優しい所作で何度も何度も「共感と対話」をする様子を私はうっとりと眺めていました。
真っ暗な新月の夜などに 縄文の人もまたこのように 手ざわりで土器と伝説の物話を交わしたのかもしれません。三内丸山の丘で破壊された土器は確かに そのような意味でも 失われた物語の破片であるとはいえないでしょうか。
最後にこのプロジェクトの主旨に深い理解を示して下さり、本物の土器に自由に触らせて下さった三内丸山遺跡調査室の皆さんに研究プロジェク トメンバーの皆さんとともに心からの感謝をおくります。
縄文遊々学 岡田 康博
第1回 「遺跡と出会う」
安芸 早穂子 HomepageGallery 精霊の縄文トリップ