学生時代日本画絵の具を見て、色の呼び方が 日本画と西洋画とでは違うことを私は初めて知りました。
たとえば緑は若葉、草緑、をはじめ 松葉、碧緑、群緑、緑青、杉葉、鶯、鶸、黄鼠、はては柳葉裏色まで 自然界にある四季の緑が詳細な観察にしたがって作り出されてきたことをそのまま物語っています。
西洋画では 主にその色を作り出す鉱物の名前がつけられるようですが、このあたりにも西洋と東洋の文化における視点の違いとでも言うものが推し量れる気がします。
色の概念はとてもあやふやなものです。
しかし、日本画の絵の具の名のように、視界にあるものの名前を当てはめて色を呼ぶことは、 全ての人が同じ色の概念を共有するには 有効なことだと思います。
縄文人は色をどのように呼んだのでしょうか。
例えば、多くの出土品に美しく施された漆塗りの赤と黒は 漆の木由来であるという原料の名をもって呼ばれていたでしょうか、それとも 炎と闇 とでもいう名をもっていたでしょうか?
炎と闇を器のうちに同居させて 縄文人たちはそこに何をいれたのでしょうか。
闇の魔を除けるために炎の色は墓のうちにも塗られたのでしょうか・・・?
北海道の縄文遺跡から 朱色に塗られた墓穴が見つかったとき 縄文の人々にとっての朱色が連綿と今にまで 魔よけの色として私たちにあり続けることの不思議を感じました。
闇の中を村に帰りついたとき 山から、海からちらちらと見える炎の赤が護りの象徴となったと考えることは 心躍ることです。
一度全盲のあんまさんに 「白という色はどんな色ですか?」と尋ねられたことがあります。「赤は賑やかで暖かい色と聞いているので ああこんなものかなぁと想像できる。黒は寂しくて冷たい、青はさわやかで気持いい、緑は草とか葉っぱとかの色、他の色はたいがいこんなものかなぁと見当がつく気がするが、白だけはよくわからないんです。」とそのあんまさんは言いました。
生まれながらに全盲だというその人に「白」を説明することは とてもむつかしいことに思われました。白は特に 色としても風景としても表現としても大きな世界を持っているからです。多分 このあんまさんも そのあたりで 白を色としてイメージしかねるところがあったのかもしれません。
その一方、画家、木下晋は自分のモデルであった老瞽女 小林ハルさんが彼女の長く波乱に満ちた人生について語るのを聴いて、このようなことを言っています。
「生まれながらにして一度も世界を見ることがなかった人の語る風景に色や形があることに私は驚かされ・・・・形は何とかなるとしても、色は完全に彼女が構築した概念の世界である。見えないものを見て、その言葉をもつというということは 驚きであるというより神秘的である。常人が到達できない領域であるようにも思える。」
日本画の色、西洋絵画の色、それぞれの眼に見える色、見えない人のなかにある色。私たちとは違う領域に行き来して 私たちとは違う畏敬や畏怖の念をもった古代の人々にあった色。
縄文の世界を彩っていた色は どのような想いをこめて器にヒト形に 塗られたのでしょうか? 私にとってはゾクゾクするほど心騒ぐ推理が ここから始まり、古代の人々のイメージが彩られてゆくのです。
安芸 早穂子 HomepageGallery 精霊の縄文トリップ