大阪で 月に一度 縄文サロンという集まりをもって かれこれ7年ほどになります。
場所はかの有名な大阪ダウンタウン 天神橋筋商店街6丁目 通称天六 にあるブックカフェ ワイルドバンチ
映画人の出入りが多く、ジャズライブがあり、ご主人の蔵書に埋もれてバーがある ちょっとしたヒマ人達のたまり場です。
我が家のチワックス ここちゃん
当然わが縄文サロンもビールを飲みながらの砕けた会です。持ち回りで話をする役になると 何でも好きなことを一席ぶちます。話の間じゅう勝手気ままにコメントが飛び交いますが 気に留めず一時間くらい話してもらいます。そして最後の20分ほどになると参加者全員が知恵を絞って何かしらこじつけ、結果、チカラワザで縄文にまで持ってくるのが 醍醐味です。
今までのところ、縄文時代までの最長不倒距離を樹立した話題は 「大島渚と愛の亡霊」でしょうか? 縄文人にも幽霊が見えたかってなことで・・・
先だっての2月には 民博の外来研究員でロンドン大学から来ているポールさんと 家具調現代仏壇メーカーのデザイナー林さんとの2人に話しをして頂きました。
家具調現代仏壇とはマンションライフにフィットした新しい仏壇の提案で、イタリアの家具職人などにデザインされた、小さくてロマンティックな「祈りのスペース」です。 ポールさんは文化人類学者で家畜と犬と日本人との関係について研究しています。
さて この2人の話をどうやって 縄文に持ってきたのでしょうか?
そもそもこの二人に一緒に話をしてもらったきっかけは 家具調仏壇をペットの「遺影」を置くためのペット仏壇として使う目的で購入する人々が増えている という話を聴いたからです。
一方、ポールさんは 犬のドレスを売る店で 飼い主がペットの犬と自分の子供におそろいの服を買う・・・というような「犬の家族化」が日本の都市部で際立っていることに注目しています。
結ばれていたのか?
縄文時代の犬は 墓に丁寧に埋葬されていた例が少なくないと聞きます。そこから、「親密な犬と日本人の関係」は先史以来どのように変化してきたのか? というあたりを ビールのつまみに話し合えると面白そうだと思ったのでした。
ポールさんは、かなりしっかりプレゼンを用意してくれまして逆に恐縮でしたが、その内容の大意はこんな感じです。高度経済成長時代あたりを境に 人は家畜と暮らすことをやめて家畜は家を出され、専用の大型農場に移った。その一方、庭で繋がれていた犬が、番犬や狩猟犬としての役目を徐々に解かれ、家の中に招き入れられてきた。
忠実、利発で表情が豊か、人間が感情移入をしやすい犬はこうして私たちと寝食を共にまでするようになり、服を着て美容院に行き、お墓に仏壇、ついには住民表まで持つようになったのです。(東京都板橋区)
一方、人に都合よく品種改良され、異常な交配繁殖のために虐待の憂き目にあう犬たちも少なくないと聞きます。ペット産業は巨大なマーケットになり犬はお金で買えるブランドつき家族要員となりました。
昔も今も変わらず誠実に人を信頼し、愛し続けてくれる犬に対して、私たちはたくさんのものを手に入れ、暮らしも思想も大きく変容し、犬たちに求める関係もこのように変わってきたのです。
番犬、狩猟犬、牧羊犬、犬ぞりを引く犬、長い関係の歴史のなかで人は犬の野生的本能に助けられ それに絶大な信頼と敬意を払ってきました。服や仏壇や住民票をもらっても犬はちっとも嬉しくないと 知らない人はいないはずです。それは敬意とは全く別のとても利己的な満足にすぎません。
私たちはむしろ犬の尊厳を侵しながらその誠実さを利用し、依存するようになりました。それは家畜やペットの宿命と言って済まされることでしょうか?
インフルエンザはアヒルや豚の尊厳を冒しすぎたために起こったとはいえないでしょうか。地球温暖化だって 惑星の尊厳に敬意を払わなかったから起こってきたことですよね。
縄文時代の人が、人以外の命あるものとの間に築いていた関係は どのようなものだったのか、犬と仏壇を糸口にして探ると何かそこから学べる気がしてきます・・・という具合に 最後に縄文に持ってくるのが 我が縄文サロンの楽しみなのです!
安芸 早穂子 HomepageGallery 精霊の縄文トリップ