諏訪について翌朝、小山研究室の面々と御柱が眠る棚木場を訪ねると、そこには祭りの朝らしくハレのはっぴ姿にねじり鉢巻の男衆が、気を引き締めて・・・といいたいところですが、どうやら前夜祭、前々夜祭、前々々夜祭・・・などがあったらしく、かなりの人数が朝っぱらから充分に酩酊状態。
絵・縄文探検(くもん出版)
口絵 小山修三著 より
祭り装束にデイパッグを背負って歩いていたおじちゃんの、顔の横にビニールの管があるので 「それは何か?」と尋ねると、にこやかに指差す先にはデーんと一升瓶が・・・一升瓶ってとてもうまくデイバッグの中に納まるんですね!バッグからちょうど口だけが出て、背中にきっちり立って収納されたその酒のビンからは、透明な細いビニール管がでています。それがずぅーっとおじさんの口元まで引っ張られてきていたのでした。この装置によって、おじさんは日がな一日飲んだくれておれるわけです。人間の機知!
このおじさんのみならず、さすがに7年に一度の大祭だと たまるテンションも7倍なのか、諏訪の町中が完全に非日常の「お祭り騒ぎ」です。多くの家は庭の塀囲いを取払い、縁側に鏡酒や山盛りのご馳走を並べて「まぁ飲んでいけ!」「こっちきて休んでけ!」と文字通りの大判振る舞い。
そこを進軍ラッパとおぼしきラッパを吹き鳴らす「応援隊」が走りぬけ、物干し台に登ってパッパラパーとやるかと思えば、電柱にしがみついてパッパラパッパーっと もはや正気の沙汰ではありません的雰囲気。
遠い親戚から旅行者、果てはおばあちゃんの位牌まで縁側に鎮座して、家の中も外も、道から屋根まで人が入り乱れている光景は、酩酊していなくてもニヤニヤ ゾクゾクしてしまう、常軌を逸したテンションの異世界です。
ー縄文まほろば博展示画部分ー
縄文時代とまで言わずとも 私が小さいときには まだまだお祭りの前の晩に嬉しくて眠れない子どもやおっちゃんがいっぱいいたと思うのですが、縄文の祭りとは こういう「血が騒ぐ」ものであったろうかなぁ・・・
だいたいこういうときにヒーローになるやつは 普段学校では決して優等生ではなかったが、妙に人望があったり、人並みはずれて度胸があったりして、血が騒いだバージョンの町の顔として それなりに憧れられる存在だった。 運動会の駆けっこで、タイムの順番に走らせて、「不公平のない一等賞を!」なんて言い出した頃から、祭りのヒーローは影を潜めてしまった。
不公平って、算数で0点取るやつは 自分が悪くて 駆けっこが遅いやつは 皆で助けるのは ちょっとヘンですね。現代日本の義務教育は、頭脳派と体力派を もっと公平に評価して 祭りの日だけヒーローになるやつを もう一度しっかり育てるべきです。
何か話が横道にそれましたが、かく言う間に御柱は山から出されて、いよいよ木落とし坂に落っことされる順番待ちが始まりました。
巨木を谷へまっさかさまに落とすこの場所は、御柱の上にまたがった男衆最大の見せ場。見上げる大群衆の数も、半端ではありません。
あちこちに櫓を組んで作った観覧席がありますが、小山先生はその櫓をよじ登って高みの見物をしようとして、上の席にいたおばちゃん連中から傘つつき攻撃を受けています。あの席で見物できるには ものすごい根回しと努力がいるに違いありませんから、まぁそれも仕方なし。
木落としは まさに生死を賭けたド迫力。
谷に落とす順番が巡ってきたときの男衆は 町の光景とは打って変わって水をうったように静かに緊迫しています。そこに、高らかな木遣り節がひとふし、峰々にこだまするように響くと、それに唱和した声で体が動き出します。素っ頓狂なまでの高音域で歌われる木遣りは、まさしく祭りのカンフル剤的存在です。大喧騒の「動の祭り」の中を、光が射すように切り裂いて、ひとふし響く高らかな歌声。
オフィスワークがだるぅーくなってきた昼下がりの頃、この木遣り節がひとふし流れてきたら、背筋がシャキン!となりそうです。
この日の木落としは、けが人も無く死者も無く、無事終了。肩の力がぬけた男たちは、またへらへら顔に戻って、酒盛りに行くのでしょう。
5月の山ろくに涼やかな夕刻の風が吹き渡り、力を使い果たして満足げな男たちが家路につく。子どもがわいわいと走り出てきて 夕餉の煙が立ち上る家を指差す。
女たちは寄り集まって 亭主の噂話などをしながら宴の準備に余念無く、今年初めて祭りに出た息子にかける言葉などを考える。
あ~こういう祭りはそこここにあったのに!
ついこの前までは。
安芸 早穂子 HomepageGallery 精霊の縄文トリップ