小笠原諸島、平泉の世界遺産登録。嬉しい。素直に嬉しい。ことに平泉に関しては、とりわけ深い感慨がある。
写真:松隈直樹
実は4年前の夏、ちょうどユネスコの調査団が訪れた直後に、平泉を取材する機会に恵まれた。「おそらく大丈夫だと思います」。調査団の案内に立ち会った関係者の方が、どことなくほっとした笑顔を見せてくれたのが記憶に刻まれていたこともあり、「登録延期」の報せを聞いたときには、もうショックで……。その後もずっと気になっていただけに、皆さまの喜びを思うと胸に熱いものがこみあげてくる。
もっともインパクトがあったのは、やはり平泉の主役、金色堂。雑誌やテレビで何度か目にしていたがゆえ、正直なところさほどの期待を持たずに出かけたのだが……衝撃だった。黄金の輝き、螺鈿の煌めき、菩薩の眼差し。一瞬にして、すべてに心を奪われ、涙ぐむほど我を忘れた。エジプトやマヤの遺跡、各国の大聖堂など、世界遺産級の建築物や景色は一般的に、ダイナミックであったり、ゴージャスであったりと、その存在感に包み込まれて感動が押し寄せる。しかし金色堂はすうっとなかに吸い込まれていくような、同時になにかが心の隙間に入ってきてくすぐるような、真逆の感覚だった。不思議な気持ちよさだった。契約の関係で、写真を披露できないのが残念である。
中尊寺金色堂を含む、世界遺産対象の資産を愛でるだけが、平泉を訪れる醍醐味ではない。前九年の役と後三年の役の骨肉の争い、戦のない理想郷を造ろうとした藤原清衡の思い、父秀衡の遺志に背いて源義経を自害に追い込んだ四代・泰衡の葛藤、そして義経の無念。“妄想宝箱”と賞したいほど、平泉は物思える場所である。「夏草や 兵どもが 夢の跡」。義経が最後を迎えた高舘義経堂には、松尾芭蕉の句碑が、北上川を望むようにして立っていた。過去を振り返り、涙がしばし止まらなくなった。もし、泰衡が義経とともに源頼朝に反旗を翻していたら、どうなっていたのだろうか。鎌倉が敗れ、平泉に権力が移っていたら、東北の未来は変わっていたのだろうか。義経には皆無といっていいほど政治的才覚がなかったが、もし……。いずれにしても、清衡が平和を願った平泉に、戦時のみ輝けた傷だらけの軍神が転がり込んできたのだから、皮肉なものだ。
清濁飲み込んだ歴史の積み重ねがあって、今がある、未来がある。そう実感できることこそが、平泉の世界遺産的最大の価値ではないかと、散策を終えて泣き疲れた妄想好きは当時、しみじみ思ったものだ。酒にほろ酔い、そばをたぐりつつで、心は早々といつもの世俗まみれに戻っていたが……酒もそばも旨かったのだから、しょうがないのだ。
写真:松隈直樹