住居跡の床面からかおをのぞかせた土器片をはがすと渦巻き文があった。作者はどんな思いで描いたのだろう、ヘビなのか、うず潮なのか、目眩して吸い込まれそうな気がした。そっとなでるとザラッとした感触、それが私とジョーモンとの出会いだった。もう半世紀も前のこと。
博物館や資料館では、展示品を宝物としてガラスケースにおさめてある。これじゃ、視覚障害者はどうしろというのだと苛立つ。広瀬浩二郎さん(国立民族学博物館准教授)は視覚障害者で、みんなが楽しめる博物館(ユニバーサル・ミュージアム)づくりに取り組んでいる。そこで、2006年から吹田市立博物館での実験展「さわる-五感の挑戦」のアドバイザーをお願いし、2009年から文科省の助成を得て共同研究会を立ち上げた。
博物館にとってさわるはタブーに近い。しかし、情報学の及川昭文さん(総合研究大学院大学名誉教授)は「モノはすべて滅びる運命にある、さわらせるべきだ」と過激である。一方、「それでは、正倉院御物が磨り減ったり、こわれてもいいのか、これまで蓄積した文化財の保護・修繕の知識や技術はどうなる」論も無視はできない。
机上論ばかりやっていたのではラチがあかないので、実践的にやることにした。具体的には(粘土で)モノをつくること、そして、展示に使える「見る」以外の要素を探すこと。まず、浮かんだのが三内丸山遺跡のあの大量の遺物とその手触り。三内丸山遺跡保存活用推進室にお願いして収蔵庫に入れてもらった。棚いっぱいの土器に広瀬さんをはじめ、視覚障害メンバーは圧倒され、研究会は活気がみなぎった。次の日は青森県立盲学校の生徒にも参加してもらい土器をつくった。
このコースが定番になり、その後、国際基督教大学、美濃加茂市などで研究会をかさねてきた。本年は安土城考古博物館で、「博物館はどれだけさわることを許容できるか」をテーマに、レプリカとホンモノに触れ、その差を討論した。また、信楽陶芸の森では、手触りにこだわった作品をつくり、それを工夫して並べて、インスタレーション(場所や空間全体を作品として体験させる)的な効果をだすことを試みた。その結果、「うまくやればレプリカでも十分いける」そして「展示物(作品)を宝物扱いしない」ことが肝要であることがわかった。
「さわる」を切り口として、これからの博物館のあり方を探る研究会のゴールが、ようやく見えてきた。私たちの集めた作品をコアとする低予算の小さな展示が各地で出来ればいいと思っている。

土器にさわる広瀬先生