遺跡や歴史に興味を持ったのは小学生のころだ。ツターカーメンやトロイの発掘物語にワクワクした。そして偶然にも自分の周りにはそれこそ、その道の専門家がいた。叔父は大学で考古学を教えていたし、父親は高校の教員の傍ら、休みには発掘に出かけていた。そんな環境で暮らしていれば、自ずから興味を持つのは当然のことだったのかもしれない。
ある夏の日、父親から発掘へ連れて行かれた。家族サービスなどあまりしたことのない父親であったが、何を思ったか、小学生の自分に掘らせるという。当時、自家用車など珍しい時代であり、早朝自宅を出発、汽車とバスを乗り継いで発掘現場へ到着。炎天下での発掘となった。どきどきしながら自分の出番を待っていても、いつまで経っても父親からは声がかからない。実際に掘っているのは父親が顧問をしている部活動の高校生ばかりである。暇をもてあまし、少しふてくされた私は、発掘現場から少し離れた地面を勝手に移植べらで掘り始めた。
すぐに移植べらの先に何か固いものに当たっている感触があった。注意深く周りを慎重に掘り下げる。発掘では土器や石器が出土してもすぐにその場から動かしたり、持ち上げたりしてはいけないことを父親からは何度も聞かされていたためだ。位置や状況を記録することは発掘の基本なのだ。
さらに周りを掘り下げる。やがて緑色の石の一部が顔を見せた。「石斧だ!」と直感した。緑色の石は磨製石斧に使われている場合が多いことはいろんな本で知っていた。さらに掘り下げる。以外と大きい。やがて全貌が姿を表した。20cm近くもある、ほぼ完全な形のやはり磨製石斧であった。あまりの喜びに我を忘れた私は、その石斧を掘り出し、父親に見せに走った。そう、発掘ではしてはいけないことをしてしまったのだ。そのことに気づいてももう遅い。
恐る恐る父親に土が付いた石斧を差し出した。それを見た父親は少し表情を崩しながら「どこで見つけた」と一言。見つけた場所を案内し、そこを中心に発掘することになった。石斧はラベルを付けられ、標本箱に入れられることになった。その様子を見ていると、自分の見つけたものの貴重さがよく実感できた。ほめられはしなかったが、発掘チームの中で一目置かれる存在になったことは間違いないようだった。しかし、帰り道、父親からは掘り出したものは勝手に動かしてはいけないと、再び言われた。次の日、炎天下の作業のせいか、寝込んでしまった。
あれから40年以上経つが、あの日の石斧にあたった移植ベラの感触や石斧の重さはいまでもはっきりと記憶している。あの日の出来事がなければその後考古学を勉強することはなかったと思う。地面の下には自分の想像もできないものが埋まっていることと、それを見つける、掘り出すことの楽しさを知ってしまうと、もう止められない。遺跡の一番の魅力や楽しみは掘ることだと密かに思っている。