今年、縄文のイベントを青森県から委託されていた私は、
ギリギリまで何も思いつけずにいました。
自分の庭に竪穴式住居も建てたし、三内丸山遺跡で火も焚いた。
小牧野ストーンサークルでの遠足で、100人で遺跡でおにぎりを
食べるという夢が叶った私はもう、
「やり残したことは何もない。
今年は他団体に任せて、縄文はやらずにおこう」と
思っていたんですね。
ところが、ギリギリになって思いついてしまったんです。
「そうだ、外ヶ浜町にストーンサークルを建てよう!!」って。
何故思いついてしまったのかはわからないのですが、
東日本大震災の後、相当いろいろなことを考えていて。
結局最後は、石しか残らないと思ったんですね。
本もいつかは風化してしまう。
ウェブも電気がなくなれば意味がなくなる。
そうなった時に、何が残るのか。
それは、石しかないと思ったんです。
そう思った時に、突然に石に関する情報が私の元に集まってきました。
たとえば、ストーンサークルに使われている石には石英成分の多いものが
多数使われており、
石英はライターの着火に使われるほど、電気を発する石として有名で、
その石を環状に置くことによって
その中の電磁波の値が高くなり、ストーンサークル内の
エネルギーはより高密度になるのだとか。
(参考 青森県音楽資料保存協会 事務局日記 製鉄の響き より)
もっと詳しく知りたい方は、
http://www7a.biglobe.ne.jp/~amusic/un0504-2.html#n525 をどうぞ!
そうなってくると、ストーンサークルというものは
何か特別な意味を持って4000年前に作られたものに
思えてきまして。
縄文人も、ただ石を並べたわけではないと思ったんです。
何かの意図を持って、そこに巨大な装置としての
ストーンサークルを作った。
しかも、時代が4000年前から3000年前に集中していて、
その時代に何が起こったのか。
高まった電磁場に身を置いて、何を思ったのか。
その土地のエネルギーを高密度なものにして、
そこで何をしたのか。何を祈ったのか。
冬至の日に太陽が上る方角を、何故意識したのか。
冬至の日を境に、日はだんだんと長くなる。
そこに春の息吹を感じるように。
ならば、ストーンサークルは再生を願った、巨大な装置なのか?
「そうだ、ストーンサークルを建てよう。」
そう思った瞬間に、いろいろなものが動き始めました。
長野県での、ストーンサークルを創るアーティスト・杉原信幸 さんとの
出会い。そして、彼の建てた竪穴住居内の神々しいストーンサークル。
わっぱら遺跡の素朴な日時計状ストーンサークルと、
そこへ無意識に寝転がる、詩人・山形淑華さんとの再会。
あまりにも、すべてが仕組まれていたように思えました。
杉原さんの建てた美術作品である竪穴式住居(墓家)の中には、
ストーンサークルがあり、
中心になる神様の石が、円の外にあることに
私はすごく、興奮していました。
普通、ストーンサークルの中心の石は、
円の中にあります。
だけど、そこではその位置にいるのが
当たり前のように神々しく、
石は神様のように円の外のちょうど竪穴住居の上に空いた穴から、
天上の光が届く場所にいて、特別に輝いていたのでした。
青森県に滞在制作でストーンサークルを創ってもらいたいと
杉原さんに言うと、
彼は9月23日には青森に入り、9月26日から10月9日までの約2週間、
外ヶ浜町で本格的にストーンサークル作りに取り組んでくれることを
約束してくれました。
外ヶ浜町には、一万三千年前という、世界最古の土器が出土した
縄文遺跡があるのです。
10月9日はストーンサークルの完成を祝う
ストーンサークル祝祭が開かれます。
ストーンサークルを創るために、
青森県職員のTさんや、外ヶ浜町教育委員会のKさんが
河川事業の方々にきちんとした書類を作って提出してくれたり、
蟹田川の漁業権のことなどをクリアーするため
ご尽力下さいました。
今年は、ストーンサークルを建てよう!
そしてストーンサークルの祝祭を挙げよう。
縄文友の会主催のストーンサークルフェスティバルは、
2011年10月9日 大山ふるさと資料館前(旧蟹田町立大山小学校前)
にて、午後一時から開催します。
祝祭には柔らかな歌声と卓越なるピアノ奏者、コトリンゴさんを迎えて。
舞踏家・雪 雄子さんの踊りにより、ストーンサークルに命を吹き込みます。
そこで、人々に愛されるストーンサークルにするために
おむすびや豚汁のお振る舞いをしようと思っています。
縄文友の会主催の「ストーンサークルフェスティバル」は、
10月9日に外ヶ浜町 大山ふるさと資料館前にて。入場無料で開催します。
現代のストーンサークルが誕生する瞬間に、
たくさんの方々が立ち会えますように。