チュニジアのジャスミン革命を発端とする中東の激動は、少しずつ平静な日常へと向かいつつあるようだ。とはいえ、欧州の観光客が戻ってきたと聞くエジプトとて、日本の外務省ではまだ渡航に関して注意を喚起している。新たな考古学的発見がニュースになるたびに胸がときめくわたくしは、再訪の機会に恵まれるにはまだ、しばらく時間がかかることだろう。初回にご紹介した登録第1号のアブシンベル神殿をはじめ、エジプトは世界遺産の宝庫。国全体が古代博物館だといっても過言ではない。その要となるのは、なんといってもギザのピラミッドである。
テレビ等でさんざん見慣れた巨大な建造物を前にして圧倒されたのは、大きさにも増して、四角錐のラインだった。見飽きないほどに美しい。角が東西南北を正確に指している上、かつては全体が石灰岩で覆われ、太陽にきらめいていたと聞き、さらにうっとり。最大のクフ王のピラミッドは、内部のダイナミックな構造にも息をのんだ。紀元前26世紀、4000年以上も前に、どうやって、なぜ……。そう、見るだけではなく、謎にまつわる諸説様々な意見にふれ、あれこれ妄想するだけで幸せにひたれるのも、ピラミッドの魅力である。3つの巨大なピラミッドの配列は、オリオン座を模したもの。一辺の長さは、地球の大きさを理解して算出した。真偽はともかく、ロマンにあふれているではないか。ピタゴラスやニュートンといった天才たちも関心を抱いていたそうだが、彼らにしてみれば壮大でエキサイティングなパズルゲームのごとき存在だったのかもしれない。
調査により、まことしやかに語られていた説が覆されるケースも興味深い。たとえばピラミッドの建築にかりだされた労働者は、過酷な仕打ちを受けていたという話。紀元前5世紀にエジプトを訪れたヘロドトスが世間に広めたらしく、実際、労働者の背骨には、重労働の痕跡がみられる。しかし最近では、場合によってはきちんと治療を受け、パンやビールもふるまわれていたのがわかってきた。仕事自体は大変だったものの、それ相応の待遇だったようだ。一説よれば、宗教関係の施設建設に関わるように、人々は喜びをもって参加していたのではないかとも。無慈悲で知られる秦の始皇帝にまつわるエピソードよりもむしろ、三内丸山遺跡のあの大きな栗の木を山から運んできた縄文人の感覚の方が、ピラミッドに携わった労働者には近いのかな……。などと考えながらピラミッドを見つめているうち、口のなかがじゃりじゃりしてきた。砂である。ファラオたちは皆、この砂のせいで歯の痛みに悩まされていたとガイドに聞き、笑いがこみあげる。巨大な建造物を作れても、小さな砂粒にはお手上げだったのですね。その砂が幾年月もの間、遺跡を守ってきたエジプトについては、次回も引き続き。