平成18年度の「青森県の縄文遺跡群」は文化庁世界遺産特別委員会の審査の結果、継続審議となったが、この結果は想定していた範囲内のことであり、特に落胆することはなかった。同時に示された課題では資産の広域化が求められていたが、縄文遺跡は青森県だけではなく、日本列島全域に広く分布することから、文化庁の見解も当然のことと受け止めた。
私が最も注目していたのは縄文文化や縄文遺跡の価値や意義をどのように評価したのかであった。この点については想像以上に高いもので、縄文遺跡の世界遺産としての価値を十分に認めたものであった。「これはいける」と私は確信した。心配していた門前払いはされなかったのである。この基本的なことが受け止められれば、あとは資産構成の問題である。と言ってもそれには相当の理屈が必要である。幸いにも北海道、青森県、岩手県、秋田県は縄文時代においても同一文化圏を形成していたことから、まずは4道県で共同、連携して取り組むことが必要と考えられた。
他の3道県に呼びかけたところ、共同して取り組むことについて了解を得られたことから、再提案のための提案書作りは急ピッチで進められることとなった。何度も会議を重ね、内容を固めていった。さらに日本を代表する考古学者や民族学者からも、縄文文化の価値や世界史的な位置付けについてあらためて指導、助言を受けるとともに、4道県に所在する特別史跡、史跡等の著名な縄文遺跡15を選定した。
また、行政的な取り組みとは別に、4道県の主な史跡で、実際に調査研究を担当している人間に集まってもらい、『北の縄文研究集会』を立ち上げ、専門的な立場から、「そもそも縄文文化とは何だろう」とか「日本列島に広がる縄文文化はひとつの文化としてとらえられるか」など、縄文文化についての議論を重ねてきた。この議論の内容は現在記録集として刊行する予定で準備を進めている。この議論の中で自分の中で未整理だったものをかなり整理することができたのは大きな収穫であった。
文化庁に提出する提案書にはページ数の制限があり、その中で最大限のアピールをしなければならないため、文章の推敲を重ね、写真の選択にも慎重を期した。昨年8月には、北海道旭川市で開催された「北海道・北東北知事サミット」で、名称を「北海道・北東北の縄文遺跡群」とし、4道県と関係する12市町(函館市・伊達市・森町・洞爺湖町・青森市・八戸市・つがる市・外ヶ浜町・七戸町・一戸町・鹿角市・北秋田市)とで共同提案することが正式決定した。ほぼ8ヶ月を要した提案書は無事完成し、12月19日に三村青森県知事をはじめ3道県の知事が提案書を青木保文化庁長官に提出した。今年3月には世界遺産特別委委員会による、提案者に対するヒヤリングが行われ、緊張の中、なんとか無事に乗り越えることができた。後は審査結果を粛々と待つしかない・・・(続く)