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連載企画

縄文遊々学-岡田 康博-

第5回 「暫定一覧表への記載決定(最終回)」 2008年11月19日

去る9月26日(金)午後、文化庁の内藤記念物課長から県教育庁外崎文化財保護課長へ、暫定一覧表(リスト)へ記載について審査を行っていた世界遺産特別委員会の審査結果が伝えられ、本県をはじめとする4道県と関係自治体が提案していた「北海道・北東北の縄文遺跡群」の暫定一覧表への記載が決まった。少し遅れて、詳しい資料も届き、内容を一読したが、ほぼ予想どおりであった。当初から暫定一覧表への記載はほぼ確実だと思っていたので、特別な驚きも感慨もなく、淡々と受け止めた。ただ、ほんの少し頭の片隅を過ぎったことがある。

本県が平成18年度から本格的に世界遺産登録に取り組んで以来、少数であるが県庁内外を問わず、「縄文遺跡なんて世界遺産になるわけがない」と言われた。同様のことを話す考古学者もいた。話しをよく聞くと、世界遺産登録には反対ではなく、可能性がないと言う。その理由を聞いてもはっきりとしない。後に世界遺産のことをよく知らない人に限って、知っているような顔をして、消極的・否定的なことを話したがるということに気がついたが、なぜ自分の住んでいる地域の歴史や文化に誇りを持ち、堂々とそれらの価値や魅力を主張しないのか、不思議でならなかった。

突然ではあったが、暫定一覧表への記載について文化庁が各自治体からの提案方式にしたことは自分たちの意見を主張する大きなチャンスが到来したのであり、これを活かさない手はない。それを正面から取り組むことなく、特に理由もないまま、はじめからなるわけがないと、したり顔で言う人達には正直閉口した。この人達は暫定一覧表に記載されることをどう思うのか、この結果についての感想を聞いてみたい気もする。無責任な発言を繰り返した一部の考古学者についても同様である。

縄文文化を学び、文化財保護を考え、世界遺産のことを知れば、縄文遺跡は世界遺産としての価値を十分に持っていることは分かるはずで、この点を踏まえた世界遺産特別委員会の先生方の見識はさすがである。素直に敬意を表したいと思う。その世界遺産特別委員会の縄文遺跡群についての評価は「完新世の温暖湿潤な気候に基づく自然環境の中で、世界の他の地域の新石器文化に見られる農耕・牧畜とは異なり、約1万年間にもわたって継続した狩猟・採集の生活の実態を表す日本列島独特の考古学的遺跡群である。日本の歴史のうち、このように長期にわたって継続した先史文化を表し、自然と人間との共生を示す考古学的遺跡として、顕著な普遍的価値を持つ可能性は高い。」である。今後、私達は縄文遺跡群が顕著な普遍的価値を持っていることを科学的に証明しなければならないが、この大きな課題に取り組むスタートラインに正式に着くことができたのである。(終わり)

プロフィール

岡田 康博

1957年弘前市生まれ
青森県教育庁文化財保護課長  
少年時代から、考古学者の叔父や歴史を教えていた教員の父親の影響を強く受け、考古学ファンとなる。

1981年弘前大学卒業後、青森県教育庁埋蔵文化財調査センターに入る。県内の遺跡調査の後、1992年から三内丸山遺跡の発掘調査責任者となり、 1995年1月新設された県教育庁文化課(現文化財保護課)三内丸山遺跡対策室に異動、特別史跡三内丸山遺跡の調査、研究、整備、活用を手がける。

2002年4月より、文化庁記念物課文化財調査官となり、2006年4月、県教育庁文化財保護課三内丸山遺跡対策室長(現三内丸山遺跡保存活用推進室)として県に復帰、2009年4月より現職。

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