仕事のため1年の半分以上は旅の途中、という放浪生活が続くなか、マニアとは言えない程度ながらも、いつの間にか数多くの世界遺産を訪れているのに気づいた。鮮やかな各所での思い出を振り返りつつ、世界の状況を6回に渡って皆さまにお伝えしていきたい。
まずは、エジプトの「アブシンベル神殿」から。紀元前1200年代にラムセス2世というファラオによって建築されたこの神殿は、高さ、幅ともに33メートルという巨大さを誇るだけではなく、年に2回、入口から奧、神々がおわする至聖所へとまっすぐに朝陽が差し込む、緻密な設計が施されている。1960年代、アスワン・ハイ・ダムの建設にともない、水底に沈みそうになったこの神殿を救うべく、ユネスコを中心となり、各国の協力を得て高台に移築したのが、現在に至る世界遺産活動の礎となった。
いざ神殿を目の前にして、口があんぐりとなるほどの大きさに圧倒されたのはもちろんだが、さらなる感銘を受けたのは、手が届きそうなくらいの満天の夜空を背景にした時、そして静かに朝陽が昇りながら辺りを赤く染めていくひとときだった。ファラオもまた同じ光景を目にしたに違いない。目には見えないなにか、偉大なる力を感じたに違いない。3000年という時間を一瞬で遡り、まるでラムセス2世が傍らにいるかのような妄想をしばし楽しんだ。
そう、歳月を経た建物や遺跡を訪ねる醍醐味は、単に古き物を眺めるだけではなく、かつての人々と視点を、あるいは心を同じにすることにある。そういう意味において、これまでに出会った世界遺産はいずれも、言語や国境を軽々と越えて、人を魅せる力を有していたように思える。
青森でも土岐司氏の案内による雪の白神にて「縄文の頃と変わらぬ景色ですよ」という言葉を耳にして、あるいは三内丸山遺跡で見上げた、雲と太陽が織り成す立体的な冬の空に、時を旅する感動を覚えた。過去へと思いを馳せるトビラは、人が手を施すまでもなく、その土地を見守ってきた自然が開いてくれるのではないだろうか。アブ・シンベル神殿を前にオリオン座が、紅い太陽が地平線から顔を出すなか、華やかなりし頃を思い描きながらちょっぴり泣いてしまった記憶は、今も忘れがたい。