今回、トップページのタイトル背景に使ったのは、世界遺産のひとつ、ネパールのサガルマータ国立公園を訪れた際の写真……と、申し上げてもピンと来る方は少ないかもしれないが、「世界の」の「の」の上に見えるのは、エベレストの頂上。標高3880m地点での眺めである。
ネパールの首都カトマンズから、小型飛行機で標高2827mのルクラという村まで飛び、その後は目的地まで1泊2日かけ、ひたすら歩いたのだ。
酒場でだらだらしているのがなによりも好きな、自分に甘いへたれなのに加え、重度の高所恐怖症。しかも、だんだんと空気は薄くなる。正直なところ、息も足も心も辛かったのだが、それにも関わらず前へ、前へと促してくれたのは、感覚的には「すぐ隣」と言ってもいいほど近くにそびえる6000m、7000m級の山々と、そこから吹く風、そして、遙か向こうに顔をのぞかせた、エベレストの存在だった。自分の目が世界最高峰の山を捉える、などという状況は、40年生きていてかけらも想像していなかっただけに嬉しさがこみあげ、視界は随所で涙でにじんだ。
昼間のダイナミックな景色もさることながら、同様に印象深かったのは、夜空である。時は、2月下旬。零下の気温のなかを撮影のため、もこもこの完全装備での表に。暗闇にささやかに煌めく山間の村の灯りから目線を上げた先には、宇宙。幾千万もの星々が、広がっていた。
自慢じゃあないがこちとら、日の入り、日の出のテーマソングを日常でくちずさめたほど青森市の中央市民センター(文化センター)のプラネタリウムに通い、天文クラブにも所属していた。空には、少しだけだが自信がある。ああ、それなのに、北斗七星を見つけるのすら容易ではないなんて。人間、ほんとうに驚くと言葉を失うものなのですね。カメラマンとふたり、天空を見渡しながらなにも言えず、しばらくの間、沈黙が続いた。
素晴らしき星空と、それに対比した闇は、人に時空も現実をも軽々と乗り越えさせ、また人智の及ばぬ神秘を思い、畏れる感覚を与えてくれる。縄文人たちもおそらく、日々、夜空の下でなにかを感じていたに違いない。完璧な再現は遺跡の復元よりも難しいと察するものの、たとえば周囲に協力してもらうなどして、よりあの頃に近づくことはできないだろうか。今の時代においては、いわゆる“100万ドルの夜景”よりも、“縄文の夜景”の方が衝撃であり、より深く心に刻まれると思うのだ。