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連載企画

世界の"世界遺産"から

第31回 「呪い」が真実なら、それこそ世界遺産だが。 2011年11月7日

「エジプトはナイルの賜物」と記したのは、歴史家ヘロドトスである。前回お話したように、ピラミッドの建設が奴隷の苦役を礎としていた、という彼がもとになった説は覆されつつあるが、この名言は紛うことなき真実。エジプトの繁栄を、美しく端的に現している。そう実感したのは、カイロから南下した古都ルクソールで、早朝、気球に乗ったときのことだった。日の出とともにふわりと上昇してまず見えたのは、煌めくナイル川とそれに沿って広がる、濃い、とても濃い緑色の帯だった。サトウキビの畑である。定期的に氾濫する川が、エジプトに肥沃な土壌と豊かな恵みをもたらした。治水が施された近年、洪水の心配は薄れたが、逆に畑の土が貧弱化する問題が生じているとも聞いた。しかしながら現在でもエジプトは、アフリカで唯一、食糧をを自力でまかなえる国だという。

一方、緑の先には、希望を失いそうなくらい乾いた景色が延々と続いている。その一角にあるのが、王家の谷。ツタンカーメンをはじめ、数々のファラオの墓が発掘された場所である。ファラオの墓といえば、思い出されるのは「呪い」。王の墓を暴いた者には、死が訪れる……。まことしやかに語られるものの、実はそんなことを書かれた文言は、これまで見つかっていないのだとか。ミステリアス大好きの妄想家は正直なところ意気消沈したが、どうやらツタンカーメンの墓発見の翌年、スポンサーのカーナボン卿が亡くなったことが影響しているようだ。彼の死因は蚊に刺されたのが発端の病だと判明しており、発掘の責任者ほか残された人々は以降も作業に携わっていたのを考えると、おどろおどろしくも愉快な妄想は捨てるしかない。実際、ラムセス6世の墓をはじめ色鮮やかに彩られ、恐怖よりもむしろ、復活、そして再び生きようとする希望に満ちた未来が感じられた。

ファラオが現代にほんとうに生き返ったとしたら、この気球に乗せてナイルを上空から見せてあげたいな、などと思っていたところ、突如、聞こえてきたのは、アザーン(モスクでのイスラム教の礼拝への呼びかけ)。なにもかも覆い尽くさんばかりの、大音響である。わたくしにとってはイスラムの地を旅する楽しみのひとつだが、死の谷にひとり残されたツタンカーメンは大迷惑なはず。青森の三内丸山、もしくは同じ黄泉に近い恐山あたりにご招待した方が、よほど安らかに眠ってもらえるに違いない……などというヨタ話も尽きない世界遺産の宝庫、エジプト話。自粛してもなお心残りがいっぱい、というわけで、来月、もう1回だけおつきあいいただきたい。

早朝の気球から(写真:松隈直樹)
ラムセス6世の墓(写真:松隈直樹)

プロフィール

山内 史子

紀行作家。1966年生まれ、青森市出身。

日本大学芸術学部を卒業。

英国ペンギン・ブックス社でピーターラビット、くまのプーさんほかプロモーションを担当した後、フリーランスに。

旅、酒、食、漫画、着物などの分野で活動しつつ、美味、美酒を求めて国内外を歩く。これまでに40か国へと旅し、日本を含めて28カ国約80件の世界遺産を訪問。著書に「英国貴族の館に泊まる」「英国ファンタジーをめぐるロンドン散歩」(ともに小学館)、「ハリー・ポッターへの旅」「赤毛のアンの島へ」(ともに白泉社)、「ニッポン『酒』の旅」(洋泉社)など。

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