「縄文人と現代人、どちらが幸せ?」というタイトルで講演してくれと吹田市の市民グループから頼まれた。自然の中でのびのびと暮らした野生への憧憬がもとにあり、縄文讃歌が期待されていたのだと思う。しかし、幸・不幸などきわめて個人的な問題だろう。とはいえ、日ごろ「わしは縄文人だ」などと大口をたたいているせいもあり、おめおめと引き下がるわけにも行かない。さーて困った。
わたしたちが悲しみ、つまり不幸だと感じる時の1つは、身近な人の死であろう。そこで、寿命や病気をとりあげて考えることにした。狩猟採集民をはじめとする民族社会の生活は厳しく、寿命の短いことは統計が示している。そこで、まず、古人骨から推定される平均寿命を見ることにした(表)。
縄文時代は31歳、現代の80歳台に比べるときわめて短い。その差は医療、栄養、衛生の進歩のおかげと言っていいだろう。例えば、わたしが縄文的といえるアボリジニのムラで暮らしていた時、日中の暑さ、夜の寒さ、ムシ、怪我、激しい労働、飲料水がない、偏った食(栄養)、空腹、犬も一緒に暮らしていたこと。今振り返るとそら恐ろしいほどだ。歴史資料を見るとインフルエンザ、ハシカ、梅毒などの伝染病によって、ムラが消えてしまう例も少なくない。それでも、人類はしぶとく生き続けてきたのである。
次に、寿命の男女差に注目してみよう。時代別に見ると縄文・弥生はほぼ同じだったが古墳・室町は女性がやや長くなる。しかし、江戸時代の女性の命は短くなっている、これは女性に大きな負担がかかった時代だったのだ。これに比べ、現代女性の寿命の長さはめざましい。
妊娠-出産-育児は女性のもっとも大きな役割だが、その過程は大きなリスクをはらんでいる。妊婦と乳幼児の死亡率の高さが解決されるのは、日本では明治時代以降である。妊婦をあらわす土偶、三内丸山遺跡の子どもの墓、副葬品だとも言われる赤子の手形などなど、子孫繁栄の願いとともに死者に対する悲しみが伝わってくる。縄文人のライフ・サイクルは現代人と比べて回転が速かった。15歳で出産をはじめると、30歳でおバアさん、45歳でヒイバアさん、60歳ではなんと言うのか、ゴッドマザーになるのだ。苦難を潜り抜けた女性は大勢の親族に囲まれて、至福の時をもったにちがいない。その点では「おひとりさま」化の進む現代人よりずっと幸せだったと思う。