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連載企画

縄文のワケ -菊池 正浩-

第8回 お月見のワケ(その2)悠久なるもの 2009年8月26日

1999年の三内丸山遺跡でのお月見の感動が忘れられず、毎年お月見を重ねて

今年で、11回目を迎えます。今年は、9月5日(土)の予定です。

なぜこれほど、縄文遺跡でのお月見にひきつけられるのか?

最初の年に、「縄文ファイル」に寄せた私の一文をご紹介します。

お月見に酔ったその日の心理状態の一端がうかがえます。

「1999年9月25日午後5時40分すぎ、三内丸山の北の空の雲間からオレンジ色の

幾筋かの光がのびた。薄暮につつまれた三内丸山遺跡で、いまかいまかと待ちかまえていたわれわれの前に、十六夜の月が姿を現したのである。

月見コンサートの素晴らしい笛や三味線や太鼓の響きが、そのリズムで月をひきとめようとする。

しかし、月はそれをかいくぐるように天空へぐんぐん昇っていく。

月は、「現代」の月でも、「江戸」の月でも、「中世」の月でもなかった。

やはり、それは、「古代」の月であり、見方によっては、「超古代」の月なのかもしれない。

満月の夜、三内丸山に歴史上の人物が集う情景を夢想した。民俗学者柳田國男と稀代の

博物学者南方熊楠が出会い、三内丸山への興味を語り合う。そこに、江戸期三内丸山を訪ねた菅江真澄の霊が現れ、その想いを語り始める。

菅江真澄が消えたあと、中世の僧西行が乞食姿で現れ、もののあはれを語る。

最後に、三内丸山の巫女の霊が登場し、この地に生きた人々の喜びとかなしみを語る。

月は中空に昇り、いつしかハラハラと雨が落ちてきて、ふとわれに返る。

柳田國男も南方熊楠の姿も掻き消えて、あとには、秋の虫の声だけが響いていた。

三内丸山遺跡の月夜の晩には、遺跡に封じこめられていた、いにしえの想いが、一瞬、

解き放たれるのかもしれない。」

次回は、2002年、3遺跡をめぐったお月見の体験をご紹介します。

プロフィール

菊池 正浩

番組プロデューサー。

NPO法人・三内丸山縄文発信の会会員。 1946年生まれ。青森県弘前市出身。早稲田大学卒業。NHK入局後、美術・歴史番組を担当。 1994年NHK青森放送局で大集落発見直後の三内丸山遺跡を紹介。

その後、東京で NHKスペシャル「街道をゆく」「四大文明」 「日本人はるかな旅」「文明の道」などを担当。

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