1999年の三内丸山遺跡でのお月見の感動が忘れられず、毎年お月見を重ねて
今年で、11回目を迎えます。今年は、9月5日(土)の予定です。
なぜこれほど、縄文遺跡でのお月見にひきつけられるのか?
最初の年に、「縄文ファイル」に寄せた私の一文をご紹介します。
お月見に酔ったその日の心理状態の一端がうかがえます。
「1999年9月25日午後5時40分すぎ、三内丸山の北の空の雲間からオレンジ色の
幾筋かの光がのびた。薄暮につつまれた三内丸山遺跡で、いまかいまかと待ちかまえていたわれわれの前に、十六夜の月が姿を現したのである。
月見コンサートの素晴らしい笛や三味線や太鼓の響きが、そのリズムで月をひきとめようとする。
しかし、月はそれをかいくぐるように天空へぐんぐん昇っていく。
月は、「現代」の月でも、「江戸」の月でも、「中世」の月でもなかった。
やはり、それは、「古代」の月であり、見方によっては、「超古代」の月なのかもしれない。
満月の夜、三内丸山に歴史上の人物が集う情景を夢想した。民俗学者柳田國男と稀代の
博物学者南方熊楠が出会い、三内丸山への興味を語り合う。そこに、江戸期三内丸山を訪ねた菅江真澄の霊が現れ、その想いを語り始める。
菅江真澄が消えたあと、中世の僧西行が乞食姿で現れ、もののあはれを語る。
最後に、三内丸山の巫女の霊が登場し、この地に生きた人々の喜びとかなしみを語る。
月は中空に昇り、いつしかハラハラと雨が落ちてきて、ふとわれに返る。
柳田國男も南方熊楠の姿も掻き消えて、あとには、秋の虫の声だけが響いていた。
三内丸山遺跡の月夜の晩には、遺跡に封じこめられていた、いにしえの想いが、一瞬、
解き放たれるのかもしれない。」
次回は、2002年、3遺跡をめぐったお月見の体験をご紹介します。