謹賀新年でございます。いつもならば「今年も……」とご挨拶するところだが、今回に限り「今年は!」。ものぐさなわたくしも、仕事場の窓から見える富士山に手を合わせ、幸多かれと祈った。冠雪した冬の富士は青空にくっきりと映え、機あらば布団にこもってマンガを、と現実逃避を図る日々叱咤してくれる存在である。加えて、いつかは3776メートルのその天辺に立ちたいと願う、へたれな冒険好きの思いをかきたててくれるのだ。
故郷青森の景色を振り返ると、眺めるたびに心惹かれたのは、よく晴れた日に限り湾の向こうに見える津軽半島や下北半島、さらには北海道だった。距離感のわからない幼い頃から、モツケはいつも漠然と「向こうに行ってみたい!」と浮き足だった。現代人よりも遙かに視力に優れていた縄文人たちの目は、いっそう明確に景色を捉えたのではないか。新たななにかを求めながら、渡る術を考えたのでは、とも思う。
ところ変わり、モンゴルの平原に立ったときも、似たような感覚で心身がくすぐったくなったのを覚えている。幾重にも重なるほどよく緩い丘は、わたくしでも越えれそう&越えたくなる誘惑を放っていた。丘の向こうに、なにがあるのか見てみたい。果敢なチンギス・ハーンの騎馬隊が、先へ、その先へと馬を駆り立て、領地を拡大した理由が、なんとはなしにわかるような気がしたのだ。わたくしもまた颯爽と……と記したいけれど、乗り手が鈍くさいのを早々に悟った馬は、のったらのったら、途中で何度も草をはみつつ呑気なことこの上なく。それでもなお、馬上からの眺めはさらなる遠くへと思いを誘った。
前に進みたくなる景色、という視点で考えると、もっとも記憶に深く刻まれているのは、長崎県外海地区の夕陽である。外海は長崎市街から車で30分ほど。縄文の遺跡群同様、世界遺産登録を目指す教会群が立つエリア。キリシタン弾圧の頃にポルトガルから長崎に渡った司祭の苦難を綴る、遠藤周作氏の小説「沈黙」の舞台と聞けば、心に響く方もいらっしゃるだろう。17世紀、一帯を治めていた大村純忠により、住民たちはキリスト教を信仰するように。禁令、弾圧を経ても、密かに信仰を守り続けてきた。そんな歴史をふまえて目にした夕陽は、信仰心に欠けるわたくしにも、まるで神が示した道筋のように思えた。口にするのは気恥ずかしいが、「希望」という言葉が胸に浮かんだのだ。実際、夕陽の先にある五島列島に渡った信者も多いという……。この外海地区を含め、長崎県に残るキリシタン関連の史跡に関しては、次回また、引き続き語らせていただきたい。各地で待つうんまい酒の匂いに導かれてふらふらしながらも前進をはかる(のつもり)のんだくれに、2012年もおつきあいのほど、よろしくお願いいたします。

