魔物が住んでいたり、神様が降りてきたり。舞台にはなにやら、目には見えない魂のようなモノが宿っているという。ときに演じる人を惑わせ、あるいは観客をも巻き込んで思わぬ感動を生み出す不思議なチカラが……。去る9月5日、三内丸山遺跡でのコンサートで、奈良裕之氏の登場とともに満月が顔を出したとき、そんな話を思い出していた。
幾年もの時を積み重ねてきた遺跡はそもそも、想像力を力強くかきたててくれるタイムマシンのような舞台装置だと、妄想好きのわたくしは常々思っている。そこに立ち、過去を思うだけでも、良質な物語に対面しているかのようなときめきを感じるのに、音と月というさらなる美しい彩りが加わるのだから、日常の由無し言は忘れ、思う存分、その世界に酔うしかあるまい。
エジプトのピラミッド、アブ・シンベル神殿、マヤ遺跡のチチェン・イツァと、これまでにも世界遺産の古代遺跡で開催された夜間のショーを体験したことはあるが、いずれもレーザー光線やBGM、歴史の語りなど、過ぎるほどにドラマティックな演出が施されていて、正直言って、興ざめだった。エジプトではむしろ、早朝、王家の谷に響き渡るアザーン(礼拝を告げるイスラムの呼び声)の方がどれほど神秘的だったことか。同じ世界遺産なら、エディンバラ旧市街に響いたバグパイプの音なんぞも忘れがたい。
そもそもがチカラある場所に、よけいな施しはいらない。そういう意味で、かがり火の焚かれた三内丸山でのひとときは、奥ゆかしさがなによりも嬉しかった。ほど良い闇に、やわらかな太鼓や力強い津軽三味線の音色が響く。もっともっと闇が濃かった縄文時代の人々は、どれほど敏感に日常の音をとらえたのか。気まぐれな月に、なにを思ったのか。妄想が止められない、止められない、恍惚のひととき。いやあ、ほんとうに気持ちようございました。
願わくば、この感慨をより多くの方に体験していただきたいものである。県外はもとより、海外からの観光客の心をも打つはず。縄文の頃から継がれてきた津軽人々の魂にも、より深くふれてもらえるような気がする。
なにはともあれ、個人的には、来年が既に待ち遠しくてならない。酒と同じくらいに甘美な酔いを、もう一度。