イスラエルの「エルサレムの旧市街とその城壁群」は、1981年登録の世界遺産(後に危機遺産)。当時の申請は実は、ヨルダンからなされたもの。その後、ヨルダンが領有権を放棄し、帰属が曖昧なままになっているという事実は、宗教と政治が複雑にからんだ、イスラエルの、そしてエルサレムの背景を如実に物語っている。
城壁に守られた旧市街には、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、それぞれの聖地がある。日頃のニュースから察するに、さぞかし緊張感にあふれているのだろうと思いきや、世界各国からの巡礼者に加え、旗を先頭に行き来する純然たる物見遊山の団体客も多く、光景はごくふつうの観光地さながら。また京都御所より少々広めのこのエリアは、現在も約4万人が暮らす居住区でもある。石畳を歩けば、時につるり転んでしまいそうなほどなめらかに磨かれており、そこを踏みしめた何千、何万という人々の数が窺いしれる。
路地裏では水タバコをゆるりくゆらす人々や、茶飲み話に花を咲かせる老人、サッカーに興じる子どもたち。乾燥した大地という逆境に耐えてぶどうの糖度が増す(青森の「雪中人参」と同じですね)イスラエルは、ワインの産地としても最近、評価が高まっているが、のんだくれがそのおいしさを存分に堪能できたほど、街の空気は穏やかだった。
とはいえ、いたるところに立つ、大きな銃を手にした兵士を見れば、現実を思い出す。ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」や、キリストやマリアの墓では、感動のあまりにむせび泣いている人の姿と幾度も遭遇し、呆然とさせられた。嘆きの壁のすぐ向こうには、教徒以外、入ることは許されない、イスラム教の聖地「岩のドーム」。こんなにも近い距離なのかと、切ない思いにかられた。争いが起きて、当然である。
そう、この地は、紀元前10世紀にイスラエル統一王国の首都になって以降、数多くの戦いを重ねて今に至る。過去を学び、中近東のみならず、宗教と深く関わりのある欧米の歴史や現状もまた、多少なりとも理解できたような気がした。宗教的にも民族的にも部外者である立場からは、平和云々という言葉は安易に使えないのだとも。
これまで縄文遺跡からは戦いの形跡が見つかっていないそうだが、世界的に考えれば極めて貴重な存在ではないか。今後、さらなる研究が進むなかで数多くの発見があったとしても、状況が変わらないよう切に願う。かつて日本の北に、紛れもない平和な暮らしがあった。そう聞いた人々が、少しでも夢を抱けたらいいなあと思うのだ。