
長崎市の大浦天主堂。写真:松隈直樹
以前から度々お話しさせていただいているが、世界遺産を訪れる楽しみは、遺跡やら建築物やら自然やらを目の当たりにするだけなく、積み重なった時や人の思いをリアルに感じられることにある。三内丸山をはじめとする縄文遺跡群も、はたまた世界遺産とは関わりのない歴史的な各所もまた然り。そこかしこに残る気配にふれることで、景色は旅前よりもいっそう鮮やかに色づく。長崎市街地、外海地区、五島列島など、世界遺産の暫定リストに登録されている「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」も、形あるものにも増して目には見えないものが深く刻まれた場所である。
初めて訪れた際、まずはその建物の美しさに魅せられた。さらには複雑な弾圧の歴史を知り、あまりの痛ましさに涙……その哀しみの後に心に迫ってきたのは、言葉に尽くしがたい大きな“なにか”だった。教会だけではない。昔なら船でしかたどり着けなかったであろう、海岸沿いの急な斜面に並ぶ潜伏キリシタン時代から続く集落。江戸時代に信者が隠れ住んでいたという、海沿いの洞窟。ひとつひとつ目にするたびに、案内の方のお話を聞く度に、ある問いかけが脳裏にこだました。禁じられてもなお継がれたのはなぜ? 信仰とはなに? 神とは? 生きるとは? 長崎の歴史がそうさせるのか、欧米の教会でも、聖地集まるエルサレムでも経験したことのない、不思議なふるえが心にきたのだ。

上五島のキリシタン洞窟写真:松隈直樹
漫画「テルマエ・ロマエ」の作者ヤマザキマリ氏が、なにごとにも動じない猛烈にパワフルなイタリアオバサン御一行を連れて日本を旅した際、京都の寺の枯山水の庭を眺めていたひとりのオバサンが、突然号泣したというエピソードを読んだことがある。理由があったワケではない。日本語も日本文化もまったく理解していない(というか、説明なんか聞いちゃいない)。それでもなお、心に響いたというのだ。わたくしは、クリスチャンにあらず。正直いって、信仰心に欠ける人間である。にも関わらずスイッチがオンになったのは、イタリアオバサンの心情とどこか似ているのかもしれない。永遠に答えは出ないであろう命題を与えられたがゆえ、その後も長崎の教会を巡る旅を重ねているのだと思う。
さて、旅といえば……美味も欠かせまい。長崎はチャンポンが有名だが、お出かけになるならぜひ、思案橋界隈に位置する「雲龍亭」の餃子も体験していただきたい! 側面がふわふわふんわり&底は香ばしくかりっの食感は、笑顔炸裂のこの上ない至福。世界遺産級のおいしさ。合わせるなら、香ばしい甘味を含んだ麦焼酎をぐびぐび……ああ、教会で心洗われたはずが、相変わらず邪心が残っているようでして、申し訳ございません。