以前に、岡本太郎と縄文について書かせて頂いたのだが。実をいうと岡本太郎の絵画は、それほど好きではない。これほどまでにTAROという名前に恋い焦がれているのだが、岡本太郎は絵画というジャンルで、彼の感じていた世界を表現し切っていないのではないか? と感じているのだ。
岡本太郎という感受性の塊のような人間が、彼の感じていた世界を。彼の見ていた世界を、完璧に絵画に表現できていたのだろうか? と考えると、私にはそうは思えないのだ。
彼がそのままに見ていた世界というものは、かえって彼の思想や、彼の写した写真に表れている気がしてならない。
生命の底に触れたような衝動・熱情というものは、どうにも絵画という平面上に表現しがたいもののように思える。だから、縄文人が土を捏ねて作った縄文土器に触れた時、岡本太郎はこう語ったのではないか? と思うのだ。
「そびえ立つような隆起がある。鈍く、肉太に走る隆線紋をたどりながら視線を移していくと、それがぎりぎりっと舞い上がり渦巻く。突然降下し、右左にぬくぬく二度三度くねり、さらに垂直に落下する。(中略)
この凄まじさは観る者を根底からゆさぶり、身のうちに異様な諧調を共鳴させる。それは習慣的な審美眼では絶対に捉えることのできない力の躍動と、強靱な均衡なのである。非常なアシンメトリー、そのたくましい不協和のバランス、これこそわれわれが縄文土器によって学ぶべき大きな課題であると私は信ずる。」
(四次元との対話 縄文土器論 岡本太郎 『みづえ』1952年2月号より再録。
『美術手帖』794号 (美術出版社)より)
生命の底に触れるような、衝動が駆け抜ける。踊り出さずにいられないような、歓喜。そんな熱情はかえって、岡本太郎の撮る写真に表れていると私は感じる。
『岡本太郎の東北』(毎日新聞社)の中に、岡本太郎の撮影した縄文土器が載っていたと、私は長いこと勘違いしていた。
それほど太郎の写した1950年代の東北の原風景は、私にとって縄文であったのだ。
「絶対にこの本で見た」と思うがほどに。太郎の見た東北は、私の感じる縄文の世界そのものだったのである。
その写真の、例えようもない迫力。寒さと厳しさを刻み込んだ、オドサマの顔。その土地の信仰のままに石に衣を着せて抱く、オガサマ達。秋田のなまはげ。躍動する岩手県・花巻の鹿踊り……。
太郎の見た東北は、縄文に繋がっていた。何故私が縄文にこれほど感じ入ってしまうのかというと、私たちは生命の底で縄文人と繋がっているからだ。
縄文人が子供を産まなかったら、今の私たちは存在しない。
岡本太郎の表現は、彼の感じていた世界を私たちに見せたい一心で創造されていたように思う。だから万博では5億倍スケールのDNAの配列や、人類の文化を表象する「世界の仮面」の展示、「人間文化の深みを突きつけたかった」(『美の呪力』岡本太郎著 新潮文庫)というカナダの、イヌクシュクと呼ばれる荒々しい石塊の積み上げが展示された。
太郎はどちらかというと、生命の底にある渦を。その、何もかもを巻き込んでいく力を、現実に召還する学芸員的資質を持った人だったのではないか? と思うのだ。生命に脈々と繋がっている力を。
そして何故か岡本太郎の写した東北の原風景に、縄文の風景を私は観る。そのひたすらに魂の震える風景が、東北にあると感じるのだ。