ホーム > 連載企画 > 第7回 「縄文人はどんな人?」

このページの本文

連載企画

縄文遊々学-岡田 康博-

第7回 「縄文人はどんな人?」 2008年12月17日

かつて、アルプスの氷河の中から、奇跡的に約5000年前の冷凍状態の遺体-アイスマンが見つかり、その調査により当時の人間の姿形や服装などを知ることができました。

 

残念ながら、日本では縄文人のミイラは見つかってはいないし、今後もその可能性が低いと考えられますので、もっぱら遺跡から出土した人骨を手掛かりに推定するしかありません。また、全身骨格が見つかる場合は多くはなく、一部が出土することが大半です。

これまでの形質的な分析では、日本各地から出土している縄文人骨は多少地域色は見られるものの、その特徴が均一であるとされています。つまり、北海道の縄文人も、本州も、そして九州の縄文人も形質的には大きな違いがないわけです。海外の研究者が、日本の別々の遺跡から出土した人骨を見て、同じ遺跡から出土したものかと思ったほど、良く似ているとされています。中国ですと、遺跡毎に顕著な違いが見られるそうです。形質的によく似ているということは、日本列島の中で、長期間にわたり頻繁な交流が常にあったことによるのではないかとの説もあります。

縄文人の平均身長は男性で158cm、女性は10cmほど小柄です。現在では、小学校高学年くらいといったところでしょうか。ただし、骨と筋肉の付着部分が発達していることから、筋肉質の体で動きも俊敏であったようです。狩りのために野山を駆け巡るのには適していたと言えます。顔立ちは眉間が盛り上がり、鼻の付け根は深くくぼむものの、鼻の骨は高いことから、凹凸の激しいようです。目鼻立ちがはっきりとした彫りの深い容貌が考えられます。これは現代のアイヌの人達にも共通するものです。おそらくは二重まぶたで、唇が厚く、耳たぶも厚かったと思われます。縄文的な顔立ちの女優さんは吉永小百合さんだそうです。参考までに弥生的な顔立ちは岩下志摩さんだと言われています。周りを見回すと何と縄文顔が多くありませんか。東北や北海道には縄文顔が多いようです。一方、一重で、唇が薄い、割と平坦な弥生的な顔立ちは関西や北部九州に多いような気がします。こんなところにも縄文の伝統が見られるのかもしれません。

骨折の自然治癒やガンの事例も知られています。ガンは縄文時代からあるわけですから私達も避けることが難しい病気なのかもしれません。ちなみに結核は弥生時代に、性病は南蛮貿易以降に渡来したものとされています。足首の関節に変形が見られる場合がありますので、しゃがむ蹲踞の姿勢が多かったことが推測されています。また、縄文人には虫歯が見られます。不衛生ということではなく、デンプン質の食料を大量に摂りはじめたことが考えられます。狩りで獲った動物をたくさん食べるといったイメージが強いですが、実際は植物性の食料が大半でした。

プロフィール

岡田 康博

1957年弘前市生まれ
青森県教育庁文化財保護課長  
少年時代から、考古学者の叔父や歴史を教えていた教員の父親の影響を強く受け、考古学ファンとなる。

1981年弘前大学卒業後、青森県教育庁埋蔵文化財調査センターに入る。県内の遺跡調査の後、1992年から三内丸山遺跡の発掘調査責任者となり、 1995年1月新設された県教育庁文化課(現文化財保護課)三内丸山遺跡対策室に異動、特別史跡三内丸山遺跡の調査、研究、整備、活用を手がける。

2002年4月より、文化庁記念物課文化財調査官となり、2006年4月、県教育庁文化財保護課三内丸山遺跡対策室長(現三内丸山遺跡保存活用推進室)として県に復帰、2009年4月より現職。

バックナンバー

本文ここまで