カキのおいしい季節になった。英語で「R」の入った月は安心して食べられると言う。酢ガキ、どて焼き、お好み焼きの具(大阪だけか?)、そしておなじみのカキフライ。ところで、カキフライは洋食だと思っていたが、外国で食べた経験がない。オーストラリアのレストランで出てくるのは、まず、生食のオイスター・ナチュラル、そして、オーブンで焼いたキルパトリック(ベーコンを散らす)とモーネイ(チーズをのせる)だった。全て殻つきで日本のように剥き身ではない。
オーストラリア人はたいへんなカキ好きである。かつては、海岸から何千キロも離れた砂漠の中にあるアリス・スプリングスには毎年カキを馬車で運んでくるイベントがあり、広場にテントを張って町中の人が集まって馬車をむかえたという。祖国のイギリスやアイルランドへのノスタルジーもかくし味になって、ビールやワインがさぞかしうまかったことだろう。彼らが食べたのはやはり殻つきの生カキだったと思う。なぜそうなのかは保存と輸送のかたちの差であろう。19世紀に出現したヨーロッパ型のオーストラリア社会では馬、車、鉄道がフルに使われ、製氷機で大量の氷がつくられていた。日本では背中の籠で運ぶので剥き身にして軽くし、あとは酢でしめたり、塩漬けにしていたのだろう。
カキは難しい食べものである。口にしただけで体中が腫れるというアレルギーの人があるし、季節によっては貝毒があるし、腐りやすい、水の汚染によって大腸菌が繁殖して出荷禁止になることもある。それは、カキが汽水域、つまり海と川が交わる場所を好むからで、都市化が進む地域では汚染されやすいのである。3・11大震災で壊滅的な打撃受け、ようやく復興に向かっている気仙沼の畠山重篤さんが「森は海の恋人」といって地域環境の健全化を呼びかけたことは記憶に新しい。
カキのいるところは水深が浅く採りやすい。子どものころ岩礁にへばりついた小さなカキを石でたたいては食べたものだ。すぐ飽きてしまうが、ばあさんたちは辛抱づよくたくさん集めて持ち帰っていた。これこそ本来の採集行動である。縄文時代の貝塚の食品リストを調べると、ハマグリやアサリと並んでカキの出土遺跡がとびぬけて多い。その多くは、日常生活のための採集の結果だろうが、縄文人をナメてはいけない。
中里貝塚(東京都北区)には長さ1kmにおよぶ分厚いカキの堆積があり、遺物や遺構が少ないことから、カキの加工工場だったのではないかと言われている。浅瀬に差し込んだ棒は養殖のためではないかという意見もある。殻の堆積から見てみてそれらは、剥き身にして加工されていたのだろう。しょっぱい干しガキや漬物は、武蔵野台地や中部山岳地に運ばれていったのだろう。縄文時代にはすでに商業があったと考えてみたい。